宮菊姫とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 宮菊姫の意味・解説 

宮菊姫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/01 15:39 UTC 版)

宮菊姫(みやぎくひめ、生没年未詳)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の女性源義賢の娘。源義仲(木曾義仲)の妹。

略歴

寿永3年(1184年)1月に源義仲が源頼朝の軍勢によって滅ぼされると、義仲の妹である宮菊姫は、頼朝の妻北条政子猶子として美濃国に一村を与えられて在国していた。そのうち在京するようになり、付き従う周辺の者が政子猶子である宮菊の威を借りて権門荘園公領を横領する押妨を行った。文治元年(1185年)3月、宮菊周辺の悪評が鎌倉に届き、頼朝は畿内の御家人に押妨を行った周辺の者を捕らえるように命じて朝廷には「物狂いの女房」の仕業であるとして弁明し、源氏一門への世間の非難をはばかって宮菊を鎌倉へ呼び出した。

5月、都から鎌倉に参上した宮菊は、所領の押領は自分の名を勝手に利用した者たちが行ったことであり、自らは関わりがない事を陳弁し、憐れんだ頼朝から美濃国遠山荘の一村を与えられた。政子が特に同情していたという[1]小諸光兼ら、義仲恩顧の信濃国の御家人たちに、宮菊の所領に課せられる公事に大切に奉仕するよう命が出されている[2]

生年は不明だが、義賢の死没年(1155年)から、宮菊姫は1157年生まれの政子より年長と思われるので、その猶子というのは不自然なので、義仲の妹ではなく娘ではないかとの見方もある(山本幸司『頼朝の天下草創』講談社学術文庫)。

脚注

  1. ^ 吾妻鏡同年5月1日条
  2. ^ 吾妻鏡同年5月3日条



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宮菊姫」の関連用語

宮菊姫のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宮菊姫のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宮菊姫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS