弓道
歴史と沿革
弓道は日本で最古の武道といわれています。中国の礼の思想の影響を受け、奈良・平安時代には朝廷行事に重用されていた弓矢を、形式を変えて武家社会に持ち込んだのは鎌倉幕府の開祖、源頼朝です。頼朝は武士の精神鍛錬の方法として弓馬の術を取り入れました。これを推進したのが小笠原家の初代長清です。以後小笠原家は代々にわたり、師範として礼法、弓術、弓馬術の指導にあたりました。
むろん弓術は戦闘技術の訓練としても重視されてはいましたが、鉄砲の伝来で合戦場での不利が明らかになった後は、むしろ心身の鍛錬という性格を濃くしていきます。同時に射法の追究はさまざまな流派を生んで、技法の向上は一段と進みました。
江戸時代には、弓術は武士の社会にしっかりと根付き、これは弓道へと昇華しつつ明治時代に引き継がれて、柔道や剣道とともに1895(明治28)年に創立された大日本武徳会のメンバーになりました。大正、昭和と学校の正課に採用されたこともあり、戦前の弓道は隆盛のステップを踏んでいきました。終戦の1945(昭和20)年、GHQによる武道禁止令が勢いを止めましたが、武道復興を目指す動きはすぐに起こりました。1949(昭和24)年には日本弓道連盟(現・全日本弓道連盟)が創立され、弓道の普及振興に向けた意欲的な活動が、その後、全国的に広がっていったのです。
2009(平成21)年、連盟は盛大に創立60周年記念の式典と大会を開催しました。2006(平成18)年には17ヶ国が加盟して国際弓道連盟が設立され、海外の弓士も増えています。全日本弓道連盟の会員は現在約130,000人。弓道人口は、今後中学校の武道必修化などを追い風にして、さらに増加していくことが期待されています。
競技方法・ルール
弓道を志す人はまず、「射法八節」という、基本の動作を身につけようと稽古に励み、師から学び、講習会等も受講しながら精進を続けます。的中の快感は得難いものですが、そこに厳しい自己抑制を効かせつつ充実した射を目指すのです。
弓道には他の武道と同じように級位、段位と称号が設けられています。級位(5~1)、段位(初~十)では技術面での達成度が問われ、称号(錬士、教士、範士)はそれに加え指導力や品格、識見等も審査の対象となります。こうした審査は中央や地方、定期、臨時など、対象や地域を異にして頻繁に開かれます。
一方でさまざまな弓道大会が、中学生から高校生、大学生、一般の参加者を集めて全国で数多く開催されています。
弓道競技の種目は、近的と遠的に分かれます。近的は射位(実際に弓を引く位置)から的までの距離が28mで、通常の練習などはこの距離で行います。一方、遠的のそれは60mと近的の約2倍です。
次に競技の種類ですが、3名とか5名などチームを組んで行う団体競技と個人競技に分かれます。近的と遠的では的の大きさが異なります。近的では36㎝の霞的(もしくは星的)を使用します。これに対して遠的は直径1mの大的です。これらは競技開始にあたって掛けられる的ですが、近的ではこの他に24㎝(8寸)、遠的では79㎝、50㎝の大きさの的もあります。なぜサイズの違う的を準備しておくのでしょうか。
団体であれ個人であれ、予選を突破して決勝に進んだ選手たちを、ある時点で選別にかけるために、より小さな的に替えるのです。
弓道の競技では的中の数で並ぶことを同中といいます。この決着を図るのが同中競射です。これには射詰(いづめ)と遠近の2つの方法があります。射詰とは、射手が1射ずつ弓を引き外せば失格として、最後まで残ったチームもしくは個人を優勝者とします。また、予選から決勝に進むチームを絞り込む場合などにもこの方法が採用されます。一方、遠近というのは、的の中心からの距離を計測して的芯に最も近い射手を優勝者とし、あとは順位を付けていくやり方です。
この他、競技とルールに関することに少し触れておくと、中りの数を競う的中制が圧倒的ですが、国民体育大会の遠的競技のように、的のどこに中ったかで差が付く得点制もあります。また、競技の進行をスムーズに運ぶ狙いもあって、団体戦などでは制限時間をセットしておき、アラームを流して警告したうえ、超えると失格という決まりもあります。
道具と道場
◆弓:
長さ221㎝のものを並弓、227㎝以上のものを伸弓といい、体格に合わせて選びますし、また自分の筋力に応じて強さの程度を選択します。昔からある竹弓は竹を何層にも貼り合わせて作られ、弓師の丹精を込めた腕の見せどころでもありました。しかし最近は、手入れの面倒がはぶけるといった理由から、若い人たちを中心にグラスファイバー製の愛好者が増えてきました。
◆矢: | |
◆弽(ゆがけ): | | |
弓道
弓道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 23:51 UTC 版)
弓道の部については試合ではなく演武と称された。1回の演武で一手(2射)行射し、12名の審査員による採点制(2,400満点)で得点上位者が次回演武に進む方式で行われた。府県選士の部は52名が出場し、第4回演武の高得点者3名が、指定選士の部は32名が出場し、第3回目演武の高得点者3名が大会第3日目の天覧演武に出場した。 審査員は、鱸重康、千葉胤次、三輪善輔、酒井彦太郎、堀田義次郎、浦上栄、小澤瀇、小西武次郎、広瀬実光、大島翼、渡辺昇吾、大内義一各範士。 演武に先立ち千葉範士の矢渡が、各演武の前後には審査員(三輪、酒井、堀田、浦上、広瀬、大島、渡辺、大内各範士)の礼射が行われた。また、弓道篤志家演武として松井憲之教士(熊本県)の演武が行われた。 大会三日目の天覧演武は以下の通り。
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弓道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/19 14:58 UTC 版)
弓道においては、規定数の半分以上が的に命中した状態を言う。上達の程度や昇段試験の目安となることがある。
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弓道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/24 05:43 UTC 版)
「1964年東京オリンピックのデモンストレーション競技」の記事における「弓道」の解説
魔陣を退散させる蟇目の儀式、射礼(皇室行事として行われていた)、高校生や一般の人による演武、戦国時代の古式弓術、薩摩日置流腰矢組弓が披露された。
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