宮崎実験線とは? わかりやすく解説

宮崎実験線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 01:08 UTC 版)

リニア実験線」の記事における「宮崎実験線」の解説

日本国有鉄道国鉄)では、国分寺市にある鉄道技術研究所(後の鉄道総研)の構内で短い試験線敷設して磁気浮上式鉄道研究進めてきた。この技術開発成果受けて初めての本格的な実験線として建設されたのが宮崎実験線である。1974年昭和49年)に国鉄浮上式鉄道開発会議建設決定された。 建設に際して全国何箇所かの建設候補地挙げられたが、最終的に宮崎県日向市から都農町にかけての日豊本線沿線決定された。これは、国鉄リニアモーターカー開発推進してきた京谷好泰が、狩勝実験線列車脱線事故に関する研究行っていた際に、実験使用した無線電波によって周辺農家テレビ受信障害起こしてしまったものの、理解得られ実験継続することができたという経験から、「地方は素親切だ」と感じたことが影響しているという。京谷は当時磯崎叡国鉄総裁からリニア実験線建設地について聞かれて、東京から離れた土地希望した。これが宮崎建設されるひとつのきっかけであったとされ、実際に宮崎ではリニアモーターカー実験周囲からの多大な協力があったという。 こうして1974年昭和49年)から宮崎実験線に着工し1977年昭和52年4月実験センター発足同年7月最初に完成した1.3 km区間実験始まったその後順次延伸工事進められ1979年昭和54年8月当初の計画通り全線7.0 km完成した実験線全線単線で、終点付近半径1万メートルというわずかな曲線があるだけでほぼ直線で、勾配日豊本線横断する部分に5 ‰とわずかにあるだけである。この実験線ML500用いて速度試験が行われ、1979年昭和54年12月無人運転517 km/h速度記録達成した。これは宮崎実験線における最高速度記録である。 当初実験線は、逆T字形ガイドウェイ採用していた。ガイドウェイ底面浮上用のコイルが、突起している部分側面推進案内用のコイル配置されており、それぞれに対応する超電導電磁石超電導コイル)が車両側搭載されていた。この形状採用したのは、車両重心近く推進制動力発生させることができて、運動的安定だからである。しかしこの形状採用したために、車体中央近くガイドウェイ突起が通ることになり、人を乗せられるだけのスペース作ることができなかった。 1980年昭和55年)からは、乗車スペース確保目的としてガイドウェイをU字形変更した。このガイドウェイでも底面浮上用のコイルが、両側面に推進案内用のコイル配置されているが、これに対して車上超電導電磁石大型化技術の進歩により浮上推進案内1つ磁石でこなせるようになり、車体両側面に配置された。車内には座席配置され有人での試験行えようになった1980年昭和55年)からMLU0011987年昭和62年)からMLU002が運転を開始した。しかしMLU0021991年平成3年)に実験中に火災起こして焼失した。この教訓受けて対策施したMLU002N1993年平成5年1月導入され、この車両が宮崎実験線における有人走行速度記録である411 km/h1995年平成7年1月達成した。 宮崎実験線ではこうして超電導磁気浮上鉄道技術着々と開発してきたが、これ以上技術開発を行ううえでの問題点も明らかとなってきた。実験線はほとんど直線曲線勾配がほとんどなく、こうした区間走行するときのデータ得られない。また距離が7 kmと短いので、500 km/h走行する時間はごく短く長期耐久試験などができないトンネル存在しないので、トンネル突入時に生じトンネル微気圧波などの影響評価することができず、単線であるため高速での列車同士すれ違い実験を行うこともできないこうしたことから、より距離の長く様々な実験条件備えた実験線が必要とされるようになった1987年昭和62年12月に、運輸大臣就任した直後石原慎太郎が宮崎実験線を視察しMLU002試乗したその後記者会見において「鶏小屋豚小屋の間を走っている格調の低い実験線では十分なことはできない昭和63年予算では実用化のため、新実験線の立地調査費を計上したい」と述べて新実験線の計画動き出した新実験線は山梨県建設されることになり、1996年平成8年をもって宮崎実験線でのリニア走行試験終了した。宮崎実験線では、ゲートターンオフサイリスタ (GTO) インバータ利用した電力変換所(変電所)や、リニアモーターカー用の分岐器浮上コイルガイドウェイ底面ではなく側面配置する側壁浮上方式弾性支持方式台車などの開発が行われた。また、超電導が突然失われるクエンチ現象に関する究明MLU002中心に進められてその対策講じられた。ガイドウェイ建設に関しても、側壁工場生産して一緒にコイル埋め込みまで行ってしまうビーム方式側壁現地施工して、別途コイル埋め込んだパネル取り付けるパネル方式現地施工し側壁現地コイル取り付ける直付け方式3つ試験比較された。 リニア走行試験終了後の宮崎実験線では、1998年平成10年)から東北大学研究グループエアロトレイン走行試験行っている。2002年には2号機有人走行成功2010年9月9日には3号機テスト走行成功しており、2011年6月には3号機による有人での時速200km走行実験成功した。現在では「日向灘実験施設」として、東北大学宮崎大学共同研究施設として整備棟と実験線一部使用されている。 2011年2月から国際航業グループ実験線軌道上方に太陽電池パネル並べることでメガソーラー太陽光発電所として利用している。「都農第1発電所」は検証用に作られ太陽光発電所太陽電池パネル442総出力50kW。3種類の太陽電池パネル使いそれぞれの発電効率調べたその結果を基に、CIS系(カルコパイライト系)太陽電池採用した太陽電池パネル12,520総出力1,000kWとなるメガソーラー都農第2発電所」が作られた。都農町側の3.6kmを用いた世界で稀な細長いメガソーラーとなっている。 2014年3月より、ニコン東北大学小濱泰昭と共同で、空気マグネシウム電池マグネシウム循環社会構想必要な太陽熱によってマグネシウム還元する実証実験を旧リニア実験施設先述日向灘実験施設一部)を利用して開始した

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