宮崎学説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 01:36 UTC 版)
伝えられる外見や似顔絵は、当時解体業者で、その後地上げなどにも携わった作家の宮崎学によく似ていたとされる。当時39歳で身長178センチという風体もキツネ目の男と一致していた。さらに宮崎はかつて江崎グリコの労働争議に関わっていた事実があった。その他にもかつて経営していた会社の所在地が事件の現場に近くて土地勘があったこと、事件に使われていたのと似たタイプの車両を親族が所有していたこと、親族の会社の経営者が犯人グループの使用したのと同種の和文タイプライターを所有していたなどの結びつきがあった。 1985年2月に宮崎の自宅マンションに2人の私服刑事が訪問して、宮崎に対して任意の事情聴取が行われた。しかし、宮崎に直接繋がる物証が何もなく、キツネ目の男が目撃された6月28日当日に宮崎が東京都内の音楽大学の労働組合会議に出席し、11月14日当日にも弁護士との打ち合わせというアリバイがあったことが決定打となった。宮崎本人への事情聴取は1度きりで、宮崎に対する捜査は1990年頃に打ち切られた。 1985年には『噂の眞相』誌でキツネ目の男と疑われたことを発表した。 宮崎が1996年に作家としてデビューしてからは「キツネ目の男」というフレーズは宮崎の代名詞として使われるようになり、本人も好んで用いている。後に宮崎は事件に対する見解を『突破者 戦後史の陰を駆け抜けた50年』『グリコ・森永事件 最重要参考人M』『突破者の痛快裏調書』に記した。 なお、丸大事件とハウス事件でキツネ目の男を2度にわたって目撃した唯一の捜査員は、「一時期話題になったM氏など論外です」と宮崎学説を一蹴している。
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