リニア開発の正式発表
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1970年、リニアモーターカーの開発が正式発表された。この発表の席で、当時まだ名前の無かった超高速鉄道に「いい名前を付けて下さいよ」と新聞記者に迫られ「リニアモーターカーかな...」と呟くと、翌日の新聞に大々的に発表されリニアモーターカーは、饅頭やプラモデルなど便乗商品が発売されるなど一時期大ブームとなった。大阪万博の日本館にも突貫工事で展示された。70年代には宮崎実験線での世界最高速度記録更新が大々的に報道され、子供の科学雑誌に「夢の乗り物」の代表格としてよく取り上げられた。リニア実験線は当初どこも引き受け手がなかったが、宮崎に決まったのは京谷の意向と江藤隆美の努力という。1972年3月、研究所の構内で初めて風呂桶ほどの大きさの実験車LSM200が浮いて走る。世界初の浮上走行だった。1976年、国鉄本社副技師長。1979年、無人ながら最高時速517キロを達成、有人走行にも成功した。1983年、浮上式鉄道技術開発推進本部長。開発当初から多くの批判を受け続けたが、卓越した発想力とバイタリティ、技術力で開発を推し進めた。国鉄の財政難からリニア存続の危機にあたっては笹川陽平に協力を依頼し当時の石原慎太郎運輸大臣に直訴。石原の理解がなければ宮崎実験線の存続はなく、現在のJR東海のリニア構想もなかった可能性が高い。
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