リニア開発の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/20 14:46 UTC 版)
東海道新幹線が開業して日本中が沸き立つ1964年、上層部から次世代交通の開発を命ぜられた。1966年、当時最年少だった京谷を含む5人の国鉄技術者が「超高速鉄道研究同好会」を立ち上げる。欧米で理論的な研究が行われていた「超伝導」技術を使って、世界に先駆け日本独自の「超伝導方式による次世代超高速鉄道」の開発を推し進めた。貿易商で外国人との交流が多かった祖父の影響で、京谷は子供の頃から海外に目を向け「超伝導」の欧米の研究結果に常に注意を払っていた。技術的には不可能ではないことが京谷には分かっていた。この頃、超伝導は加速度による衝撃に弱い、というのが世界的な定説だった。超伝導を採用した理由は速さより「無公害」なのが大きな理由だったという。1968年、国鉄技師長室調査役となり本格的に研究チームを立ち上げる。以降リニアモーターカー開発の中心的な存在として指揮を執った。「東京―大阪1時間」「10センチ浮かせろ」を標榜。
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