鐘捲流
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鐘捲流
かねまきりゅう
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使用武器 | 日本刀 |
発生国 | ![]() |
発生年 | 戦国時代 |
創始者 | 鐘捲自斎 |
源流 | 中条流 |
公式サイト | 日本古武道協会 鐘捲流抜刀術 |
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鐘捲流(かねまきりゅう、別名:外他流〈とだりゅう〉)は、流祖・鐘捲自斎が中条流を学んだ後に創始した武術の流儀。ただし現在確認されている鐘捲流の伝書では鐘捲自斎の次代が伊藤一刀斎となっているものもある。
剣術をはじめ、小太刀等の技術を伝えていた。前橋藩、新発田藩などで伝承されていた。
仙台藩の系統が「鐘捲流抜刀術」として現存し、日本古武道協会に属する抜刀術の一流派として岡山の地で保存・伝承されている。
歴史
仙台藩伝
元亀・天正年間(1570年〜1590年代初頭)に越前(福井)の剣豪・鐘捲自斎(生没年不詳)によって創始された流派で、出羽国米沢出身の中村某が道統を継承した[1]。
慶長年間(1596年〜1615年)、中村家は仙台藩祖伊達政宗に迎えられて米沢から仙台に移住し、剣術指南役の傍ら歴代藩主の護衛などを任された。仙台藩の藩校・養賢堂の剣術師範などを務めた中村家七代・中村祥三(1831年生)の代に幕末を迎えた[1]。
明治維新後も、仙台を離れ関東に移った中村家八代・中村虎造が東京・千住町に道場を開くなどして伝承は続いていたが、1945年(昭和20年)5月、中村家九代・鐘捲流第十代の中村圭吾は道統を星島弘道(鐘捲流第十一代)に託して満州へ出陣し、戦死した[1]。
鐘捲流には組太刀三十五本、寝技(寝ているときに襲われた場合の技)五本、小太刀十五本、立技十五本が伝わっていたが、組太刀は一刀流に吸収され、寝技と小太刀は失伝し、立技十五本の抜刀術のみ残った。また、鐘捲流の伝書は預けていた菩提寺の火災によって焼失した[2]。
系譜
仙台藩伝
- 流祖 鐘捲自斎
- 二代 中村某(出羽国米沢産)
- (三代 - 六代は不詳)
- 七代 中村荘之助
- 八代 中村祥三(1831年〈天保元年〉9月生[1])
- 九代 中村虎造[3](1866年〈慶応2年〉12月 - 1936年〈昭和11年〉6月[4])
- 十代 中村圭吾(1910年7月 - 1945年8月[1])
- 十一代 星島弘道(ほししま ひろみち、1917年2月生[1])
- 十二代 楢原正士
脚注
参考文献
- 日本古武道協会編『日本古武道総覧』島津書房、1989年、106頁。
- 高原守『秘伝古流武術 vol.5』BABジャパン、1991年、35-36頁。
- 戸枝秀栄編纂『千住総覧』むさし新聞社、1931年、150-151頁。
関連項目
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