国鉄10系客車とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 製品 > 乗り物 > 列車 > 国鉄・JRの車両形式 > 国鉄10系客車の意味・解説 

国鉄10系客車

(国鉄ナハ10系客車 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 16:07 UTC 版)

国鉄10系客車(こくてつ10けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1955年に開発・試作し、その後量産した軽量構造の客車である。


注釈

  1. ^ スイス連邦鉄道の軽量客車は、1937年に試作車が製造され、1939年より量産が開始された。なお日本で10系客車の試作が開始された1955年の段階で、スイスではすでに1,000両を超える軽量客車が就役していた。
  2. ^ 三等座席車の場合、ナハ10形900番台が自重23.0 tで、量産車でも23.8 tに収まった。それ以前の標準形であったスハ43形の自重が33.5 tであるから、これと比較して約30 %減、換算両数にして約1両減という驚異的な軽量化が実現した。折戸式の客用扉や寝台車通路側の下降窓は、設計陣が欧州視察の際に強く影響された箇所で、是非とも日本で実現したかったものといわれているが、欧州と比較して設計の経験が浅かったため、前者は破損頻発により量産時に見送りとなり、また後者は、雨水や鉄粉の進入を許し、車体腐食を早めることとなった。
  3. ^ 台枠等流用車は完全新造の軽量客車に比して重量はかさむものの、国鉄工場での製作による労働力活用と既存部材流用で、メーカーへの新車発注よりも初期コストを抑えながら車両増備ができるメリットがあった。
  4. ^ ただし、在来型客車から台枠を流用して製造されたオハネ17形、オシ17形、オシ16形は、完全新造軽量客車同様の上部車体を持つが、床部分の強度は在来型の中梁を持つ台枠に依存するため、波型鋼板床板は採用せず、中梁ありの台枠上に木材床板を張る在来工法を踏襲、その上から化粧床材を張っている。
  5. ^ これを可能とするワグナーの張力場ウエブ理論などの重要な基礎理論は、日本でも航空界には早くから伝えられ、1930年代から航空機設計に広く用いられたが、航空技術を鉄道車両の軽量化に転用・応用しようと考える鉄道関係者は、戦前の日本にはほぼ皆無であった。軽量化技術が最も進んでいた気動車設計ですら、基本的な構想においては、台枠のみで強度を負担する従来の設計から一歩も踏み出しておらず、各部材のスリム化・薄板採用によって軽量化実現と強度・寿命の減少をトレードするレベルに留まった。
  6. ^ さらなる軽量化のため、強度上不要な部分に軽め穴が開けられていた。これもスイス国鉄向け軽量客車で先行して採用されていた技術の一つである。
  7. ^ もっとも、軽量化に対する要求が厳しかった気動車では1.6 mm厚側板が戦前より標準的に用いられていたので、それを援用したともいえる。
  8. ^ 枕ばねが1列のTR50X形(川崎車輌・汽車会社製の4両はボルスタアンカー付き、日本車輌・日立製作所製はTR50と同様、擦り板式でボルスタアンカーなし)から、枕ばねが2列のTR50形へ変更。
  9. ^ アルミ合金製2枚折戸を鋼製2枚折戸へ変更。後年ナハ11と同様の1枚開戸に改造。
  10. ^ 補強リブ入りプレス鋼板一体成型品から通常構造へ変更。
  11. ^ 検討段階では車体長22 m・定員66名を予定していたが、15両編成に三等寝台車を2両組み込むとホーム長を越えること(当時の主要駅のホーム長が主に300 mのため)から20 mで設計されることとなった。
  12. ^ 4両は蒸気暖房装備車であるため、改造時にTR47に交換。2405のみ電気暖房装備車のため種車のTR34を引き継ぐ。
  13. ^ このうちオハネ17 2618は、交換元がスハ32 277を復旧した折妻戦災復旧車で、TR34を装備したスハ32 876であるため、オハネ17の中で2両だけのTR34装着車だった(もう1両はオハネ17 2405)。
  14. ^ a b c 電気暖房車は追加した電気暖房関連の機器で重量が1 t程度増加する。軽量客車とはいうものの郵便車や食堂車、非冷房のオハネ17は重量等級の上限値ギリギリで製作されていたため、これらでは運転上の制限を避けるため荷重制限やあえて乗り心地の劣る軽めの台車の存置などの配慮があった。逆に言えば冷房化や郵便車への電気暖房の設置は重量等級の引き上げが避けられない代わり実際の重量増加分はひとつ上の重量等級の上限値からはかなり余裕が出来たため、台車種類の制約や荷重制限といった運転扱い上の配慮の必要もなくなった。
  15. ^ 1969年の等級制廃止まで、二等(1960年以降は一等)寝台にはA・B・Cの3種類が存在し、冷房つきの開放型は二等B寝台であった。1969年のモノクラス化以降は(等級なしの)A寝台となる。A寝台#戦後の展開
  16. ^ 逆側の等級表示はそれぞれ「3・寝台・2」「2・寝台・1」「B・寝台・A」[2]
  17. ^ 導入当初は、厨房で皿が必要数並べられないなど、従来の定員での調理作業に慣れた従業員には混乱があったという。
  18. ^ それまでの食堂車に用いられた客車用冷房装置はいずれも、直接または間接的に車軸動力を用いたものであった。
  19. ^ 「故障の心配がない」として選ばれた石炭レンジであるが、本形式(急行「雲仙」)に乗務した宇都宮照信は著書の中で、上り「雲仙」の朝食営業準備は時間的に瀬野八の上り勾配にかかってしまい、登攀中は速度が下がるため煙突の通風が悪くなり石炭の着火が難しかったこと、すすによる燃焼不良のため(非電化区間の駅停車中とはいうものの)営業中の列車屋根に登り急遽煙突掃除をしたことがあったと記している。このようなトラブル対応は電化区間では一切できない。
  20. ^ 電気レンジの搭載(厨房完全電化)は20系のナシ20形で実現した。
  21. ^ シュリーレン式は本家スイス国鉄のLeichtstahlwagen用台車で標準的に採用されていた軸箱支持機構であり、それゆえ本形式は日本の国鉄が製造した軽量客車のうち、台枠を除けばオリジナルの構造に最も忠実な仕様となった。
  22. ^ 当初は台車も種車のTR73形3軸ボギー台車を流用しようという案もあったが、重量や床下スペース占有の点で難があり、ボギーセンターを変更して2軸ボギー化されている。なお3軸ボギーのままでの形式はスシ58と決められていた。
  23. ^ 事故に際し、車籍上は台枠流用元の客車製造年である「1928年製」と報じられたことから、実態を理解していない一般層からは「製造後40年以上を経過した老朽車で安全対策を欠いた結果の問題」として激しく非難されたが、車両の実質は製造後15年程度相当であり、むしろオシ17へ改造された際に装備されたビニール素材等の燃焼時安全性不備や、電気配線が実際の経年に比して早期に劣化したことが問題であった。
  24. ^ 事故車の2018は、事故の裁判で証拠物件となり、裁判終結後の1981年まで車籍があった。また2051は、除籍後に裁判用の参考資料として、1981年頃まで金沢運転所に留置されていた。この他、同時期まで2016が、龍ヶ森駅(現・安比高原駅)構内にあったヒュッテとして使用されていた。
  25. ^ ただし、車両標記は他形式同様「食堂」である。
  26. ^ 一部は新幹線36形食堂車の開発に際してのアコモデーションの参考として1975年頃まで尾久客車区に留置されていた。
  27. ^ 一部には設備の追加/撤去による形式変更の失念により、電気暖房のないスユ13などのイレギュラーな車両が一時期存在した。
  28. ^ オユ12 7は1959年、東海道線真鶴 - 根府川間で土砂崩れの直撃を受け再生不能となったが、当時郵便車不足であったため翌年に「二代目」オユ12 7を汽車製造にて製造。このため「昭和33年汽車」「昭和35年汽車」の銘板を持つこととなった。
  29. ^ 水抜き穴が不十分で、溜まった水が抜けきらず腐食を招いた。
  30. ^ 工場で検査のためジャッキアップしたところ、車体が崩れ落ちかけたこともあったという。
  31. ^ 調査の結果、出火原因が喫煙室の暖房装置の過熱による火災であったことが判明したが、食堂車が再び連結されることはなく、オシ17形はそのまま営業運転に復帰せずに、事故に伴う保全命令が出された1両と事業用車に転用された2両を除いて廃車となった。
  32. ^ 北海道地区では、置き換え用の14系客車の耐寒化改造工事が完了する1983年(昭和58年)夏まで使用された。
  33. ^ 座席幅は4列席で一人あたり470 mm、5列席では400 mmに設定されている。車体がやや短い分ボックスを三等車で10列に減らしているためシートピッチは日本の10系や前級スハ43系より広い1,560 mmである。デッキ寄りだけは通路を中心に配置するため5列席車の3列側もデッキ直近のボックス席のみ2列席にしており、5列席仕様で座席定員96人となる。

出典

  1. ^ 『鉄道ピクトリアル』No.670、13頁。
  2. ^ 『鉄道ピクトリアル』No.856、27頁、30頁。
  3. ^ 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」1984年10月臨時増刊号新車年鑑1984年版 p.140。
  4. ^ 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」1988年5月臨時増刊号新車年鑑1988年版 pp.210 - 211。
  5. ^ 車輌工学44 (1975) , p. 79
  6. ^ 広田尚敬、国鉄車両形式集・8 客車・貨車―栄光の国鉄車両哀惜のエピローグ (8) 、山と渓谷社、2007(客車・貨車(国鉄車両形式集・8)、山と渓谷社、1987 を復刻したもの) pp.188 - 189に写真あり。
  7. ^ 『鉄道ファン』1986年12月号 (No.308) p.66
  8. ^ a b c d e 交友社鉄道ファン』1999年1月号 通巻453号 p.113 - 115
  9. ^ 交友社鉄道ファン』1996年7月号 通巻423号 p.148
  10. ^ 『鉄道ピクトリアル』1999年6月号 (No.670) p.80, 86
  11. ^ 『王国の鉄路 タイ鉄道の歴史』(柿崎一郎著、京都大学学術出版会、2010年) p.231
  12. ^ a b 日立ニュース エジプト セマフ社納三等客車(サンプルカー) 完成 - 日立製作所 - 1962年11月20日作成・2021年6月3日閲覧


「国鉄10系客車」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「国鉄10系客車」の関連用語

国鉄10系客車のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



国鉄10系客車のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの国鉄10系客車 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS