原作とリブレット
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「ウェルテル (オペラ)」の記事における「原作とリブレット」の解説
リブレットはゲーテの『若きウェルテルの悩み』(1774年)を原作としてエドゥアール・ブロー(フランス語版)、ポール・ミリエ(英語版)、ジョルジュ・アルトマンの3人の共同により、フランス語で制作された。原作との相違は原作ではウェルテルは拳銃で自殺をした後、翌日の朝になって召使いによって発見される。オペラではシャルロットがまだ息のあるウェルテルを見つけてドラマティックな二重唱となる。『新グローヴ オペラ事典』によれば「このオペラでは原作の筋をなしていた不幸に周囲の人々までが深く巻き込まれていることが分かる。アルベールの歌は少ないが、力量あるバリトンであれば、いかに冷酷さが心に忍び込むかを、つまり、単純で高潔そして妻への愛を確信していた男が妻にその恋人の死をもたらす道具を渡すよう命令できると夫へ変わっていくかを表現できるはずである。同様にソフィーの人生も姉とその放逸で極めて自己本位な情熱のために、取り返しのつかぬ程にくじかれてしまう」と指摘している。加えて、「『ウェルテル』は表面的には単純でほとんど平凡な愛と死の物語である。しかし、作曲家の洞察力は人間の醜い心理作用に光を当てて見せる。その手腕は驚くべきことに、ゲーテの原作に恥じるものではない」と結論付けている。
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原作とリブレット
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「タイス (オペラ)」の記事における「原作とリブレット」の解説
教権反対を主張するアナトール・フランスの小説『舞姫タイス(英語版)』を原作としている。リブレットはルイ・ギャレ(英語版)によってフランス語で脚本化された。『タイス』はビザンチン帝国統治下のエジプトが舞台である。そこでは修道僧、アタナエル (Athanaël) がアレクサンドリアの高級娼婦(クルチザンヌ)でヴィーナスの信者であるタイス(聖タイス(英語版))をキリスト教に改宗させよう試みるが、しかし彼の彼女へのこだわりが欲望に由来していることが後に露呈する。すなわち高級娼婦の心の真の純潔が明らかにされるとき、宗教人のさもしい性質も明らかにされるのである。本作にはしばしば一種の宗教的なエロティシズムが内在すると書かれ、多くの物議をかもした。なお、原作の小説との大きな違いは修道士パフニュスがアタナエルに変更されている点とタイスとアタナエルの過去の経歴に関する記述が省略されている点、幕切れでアタナエルが自らが醜い吸血鬼のような形相になっていることに気づいて驚愕するところが「慈悲を!」と叫んでタイスのもとに倒れるという結末に変更されている。また、原作で記述されているタイスの生い立ちでは幼少のころ面倒見てくれていた奴隷アーメースによってキリスト教の洗礼を受けていた。『新グローヴ オペラ事典』によれば「ギャレの手腕は見事で、二人の主役の中心的状況を巧みに描いている。二人の精神は全く反対方向に進んで行きながら、すれ違いざまに一瞬、邂逅するのである。二人の魂が出会うオアシスの場面(3幕第1場)はまさにこの作品の核となっている」。また、このリブレットは「心理的かつ哲学的であるように意図されているため、動作の欠如が指摘される」という見解もある。
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原作とリブレット
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原作:ヴィクトル・ユーゴーの戯曲『パドヴァの僭主アンジェロ』(Angelo, tyran de padoue, 1835年発表)を基にする。 リブレット:アッリーゴ・ボーイトがイタリア語訳のリブレットを作成。ボーイトは筆名として「トビーア・ゴッリオ」という名で使用していた。
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原作とリブレット
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「ロメオとジュリエット (グノー)」の記事における「原作とリブレット」の解説
リブレットはジュール・バルビエ(Jules Barbier)とミシェル・カレ(Michel Carré)によりシェイクスピアの同名の原作を基にフランス語で作成されている。『シェイクスピア劇のオペラを楽しもう』の著者である福尾芳昭によると本作は「本筋でも細部でも原作を下敷きにしてほぼ忠実に要領良くドラマが展開されている。原作とオペラの重大な相違を一箇所指摘するならば、原作では墓地に駆けつけたロメオはジュリエットの仮死を実の死と思い込み、悲嘆と絶望のあまり服毒死する。仮死から覚めたジュリエットはロメオの亡骸に接してやはり悲嘆と絶望の末、彼の体の上で短剣で自決し、悲劇が完結する。一方、オペラでは服毒したロメオの息のある間にジュリエットが仮死から覚め、彼との再会を欣喜雀躍する。しかし、彼から服毒を知らされて彼との恋の最後の至福の陶酔の後、彼の服毒に絶望して、彼女は短剣でわが身を刺し、欣然として彼と死を共にする。恋愛悲劇オペラでは恋人同士が二重唱を歌って悲劇完結するのが必要であり、二重唱は聴かせどころでもあるので原作とのこういう変更措置が講じられるのは止むを得ないし、必要でもある」。
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原作とリブレット
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「お菊さん (オペラ)」の記事における「原作とリブレット」の解説
ピエール・ロティによる小説については、『お菊さん』の翻訳者である野上豊一郎は〈訳者あとがき〉にあたる部分で「訳者はこれにより読者に次のことを感じてもらえば満足である。即ち、一人の正直な異国の文芸家が我々の間に入り込んで、いかに我々を理解しようと努めたか、いかに我々の文化を理解しようと努めたかと言うことを。不幸にして彼はそのことに於いて十分に成功したとは思えないが、それでも、なお我々の信頼すべき一個の批評家であったことを失わない」と書いている。つまり、『お菊さん』自体は成熟した大人の恋愛小説ではなく、「日本との地理的・精神的・文化的な距離そのものがテーマ」である。このため、主人公が淡々と両国の文化・風俗・民族の違いを語ってもオペラ作品としては感情的な盛り上がりに欠ける。そこで、台本作者たちはイヴとお菊さんの仲が良いことに着目し、ピエールの嫉妬からイヴとの三角関係を設定し、愛憎劇に仕立て上げている。お菊さんの設定自体もオペラでは音楽学校で勉強した教養ある女性として描かれているため、お菊さんは人形のような存在ではなく、自分の意志をもち、愛についても語れる存在なのである。これにより「原作よりよほど真っ当なメロドラマになっており、観客が共感しやすくなっている」。小説ではお菊さんは芸者とは明確に区別された当時の日本式結婚のための存在で、彼女の両親には月決めの金銭的報酬が支払われていた。当時の事情について『オペラで楽しむヨーロッパ史』の著者加藤浩子によれば「長崎の〈現地婚〉は実際に日本を訪れた数少ない外国人男性の一部にはよく知られた習俗だった。その背景には軍港としての長崎の存在がある。当時の長崎には〈外国人居留地〉が設けられており、そこで欧米の軍艦乗組員が数カ月間滞在し、日本を発って行った。彼らの滞在中の憂さ晴らしとして人気だったのが、性的な関係を目的とした一時的な〈日本式結婚〉であった」と解説している。また、お菊さんの最後の手紙に関するくだりも原作には存在せず、主人公は淡々と日本を立ち去っている。
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