原作と映画の違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:32 UTC 版)
「メリー・ポピンズ」の記事における「原作と映画の違い」の解説
時代背景原作では時代はいつか、はっきりと描かれていないが、映画では1910年(エドワード朝時代)と指定されている。 メリー・ポピンズのキャラクター原作では、いつもツンとして不機嫌そうであり、子供達に命令ばかりしている(それでも子供たちはメリー・ポピンズを熱愛する)。この性格は典型的なナニーの属性である。 原作では、自分が美人であることを非常に誇りに思っていて、鏡に見とれたり、その旨の発言をすることが、非常にしばしばである。 原作では、「自分は礼儀作法が完璧である」と言っており、空中を飛んだり、逆さまになったりしても、スカートの裾は足にぴったりはりついている。 原作では、不思議なできごとが起きても、「知りません。自分とは関係ない」「そんなことが起きる筈がありません。夢か勘ちがいでは」とはぐらかして、自分が魔力がある存在だと認めない。また「子供部屋の自動かたづけ」のような「見るからに魔法」とわかるような魔法は使わない(原作では、メリー・ポピンズの親戚や友人が、超自然的な出来事を起こすことが多い)。 原作では、「階段の手すりの上を、一人ですべって登る」場面はあるが、映画にある「子供達と一緒に、階段の手すりの上をすべりおりる」場面はない。 原作では「雲の上に住んでいる」とはっきり明示されてはいない。 映画で使用される魔法の言葉スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスは原作には登場しない。 原作では、コブラがイトコだったり、自分の帽子の花を勝手につつく鳩に向かって「焼き鳥にしてやる」と罵るなど、魔女的な要素がある。 原作では、動物とはもちろんのこと、太陽や風とも会話が可能である。また、メリー・ポピンズの親戚は非常に長命と思われる発言をする人物が多い。 バンクス氏のキャラクター原作ではメリー・ポピンズを嫌っておらず、彼女がナニーにきてくれたことを大歓迎している(召使たちを含めて、バンクス家の全員がメリー・ポピンズがきたことを喜んでいる) 「全てきっちりとしなければ気がすまない」という性格は、映画独自の設定で、原作にはない。 原作では、子供の頃に「厳しい女性家庭教師」に厳格な教育をうけ、今でもその女性のことを恐れている。 原作では、映画にあるような、自分の仕事(銀行業)への不満は描写されていない。 原作では、映画にある、バンクス氏の職場(銀行)を子供達に見せる場面はない。原作ではバンクス氏の職場そばでランチをとるために、メリー・ポピンズが子供二人をシティに連れていく場面がある。 原作では、映画にあるような、銀行の顧客のパニックは起きていない。 原作では、子供たちと一緒に凧をあげる場面はない。凧あげを手伝うのは公園の管理人である。 原作では、「片足が義足のスミス」のジョークは登場しない。 バンクス夫人のキャラクター原作では夫人に「ウィニフレッド」という名前はない。また、「女性選挙権運動をしている」というのは映画の独自設定。 バンクス家の子供たち原作では4人(2巻からは5人)の子供がいるが、映画では上の2人しか登場しない。 原作での下の双子の子供は、赤ん坊の頃は、動物や風などの言葉がわかる。「大きくなるとわからなくなる。大きくてもわかるのはメリー・ポピンズだけ」という設定。 バートのキャラクター原作ではバートの職業は、「マッチ売り&街頭絵描き」の一種類のみ。 バートの描いた絵の中に入るシーン原作では、メリー・ポピンズの休日に起きたできごとであり、メリーとバートの2人で絵の中に入る。お茶を飲み、メリーゴーランドに乗るだけの、短時間で終わっている。また、原作でのバートの登場はこの場面のみであり、バートは子供たちと出会ってはいない。また、メリーゴーランドの木馬が、出ていって、競馬に出場するシーンは、原作にない。
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