十二イマーム派法学:オスーリー派の確立とは? わかりやすく解説

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十二イマーム派法学:オスーリー派の確立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:07 UTC 版)

十二イマーム派」の記事における「十二イマーム派法学:オスーリー派の確立」の解説

スンナ派イスラーム法学法源として、旧来次の四つ認められてきた。すなわち、クルアーン預言者伝承共同体総意類推である。クルアーン神の言葉そのものとして最高の権威を持つことはいうまでもない。しかし、それは法学神学的解釈大枠に過ぎない現実具体問題法学解釈下す際、最も重要な法源預言者伝承である。シーア派では、これに加え預言者ムハンマドから直接代理賦与され十二人のイマームの伝承(アフバール)を最高重視するこの伝承集は10世紀から12世紀編纂されたが、現在も十二イマーム派法解釈において最高の権威有している。 現実共同体発生する法的問題対応するために、クルアーン伝承用いて十分に対処できない場合は、法解釈者の個人的判断加えられることになる。この個人的判断は、イジュティハード、イスティフサーン、キヤース、ラーイーなど、判断根拠精確に応じて、また用いられる目的応じた用語がある。シーア派では、恣意的根拠薄弱なラーイーやキヤース排除される他方信頼度の高い伝承根拠に基づき理性行使する法的判断イジュティハードである。 イジュティハード行使は、原則としてシーア派禁止されることはなかった。しかし、十二世紀までは、むしろこれを排除する傾向があった。のちにこれの重要性について注意喚起したのが、モンゴル期に活躍したアッラーマ・ヒッリーであった。これ以後サファヴィー朝においてもその重要性認識されていたが、時代反映するほど明白な争点として現れなかった。しかし、十九世紀への変わり目にいたり、行使可否巡ってイジュティハード決定的に重要な概念であると考えられるようになったのである。 この時期法解釈方法をめぐり熾烈な抗争が行われた。一方法的解釈に際してクルアーンおよび預言者イマームの伝承の地は一切法源として用いるべきではないとする立場、他はクルアーン伝承で十分対処できない新し問題については、資格認定され法学者理性的判断容認する立場である。前者をアフバーリー派(伝統墨守一派)、後者をウスーリー派(法学原則理性許容する一派)と呼んだ。 アフバーリー派は、サファヴィー朝半ば、モッラー・アミーン・アスタラバーディーによって確立された。その基本的立場によれば十二代イマームの「お隠れ以前以後いずれにおいても信者共同体法的状況には何ら本質的相違変化はないと考える。したがってイマーム不在時代にあってはクルアーン別格として、最も重要な法源イマームの伝承だけである。そして、そのような伝承集大成として、4つ伝承のみを容認するのである伝承重視立場徹底していた。例えば、ある伝承信憑性不確かであっても四大伝承集に採録された伝承であれば真正なものとみなしたまた、ある行為妥当性について伝承では判定なされておらず、その行為自体疑わしい場合、その行為を行うことは慎重に控える。さらに、対立する伝承複数ある場合は、イマーム言行優先する。それでも判断できない場合は、いずれの伝承にも従わない(タワッコフ)という立場をとった。 この伝重視立場は、サファヴィー朝以降一八世紀入ってからも十二イマーム派主流となっていた。特に、現在のイラク共和国南部地域で同派の勢力顕著であった。この地域はアタバードと呼ばれシーア派聖地であり、宗教的学問中心地であった初代イマーム・アリーナジャフ)や、三代目イマーム・ホセイン(カルバラー)の墓廟など、イマームに縁のある地が多く存在する国境という人為的概念希薄な時代のことであり、イランからも数多く優秀な学者学生賢者求めて、まだイマームたちの霊力引きつけられるかのようにアタバードを訪れた。しかし、一八世紀末にこのアタバードで異変生じつつあった。アフバーリー派に対す攻撃なされたのである。 この反撃旗手となったのが、ベフバハーニーという人物であったシーア派では、イマームお隠れ以後百年一人時代変える人物(モジャッデド)が現れると言われている。ベフバハーにーはモジャッデドであり、シーア派学界で優に歴代十傑に入る人物として高く評価されている。 ベフバハーニーは、1705年、エスファファーンの町で生まれたイラクナジャフ研鑽して後、イラン南西部のベフバーンの町に30年滞在した。この地においても当時一斉風靡していた伝統主義掲げるアフバーリー派が優勢であり、彼はこの一派影響力削除する活動行ったその後イラク戻り、イマーム・ホセイン殉教の地カルバラー本拠地といて、アフバーリー派に対す戦い継続した。 反アフバーリー派の書物著して同派の主張反駁加え一方で分散するウラマー権威極力単一人物集中しシーア派全体統合しよう企てた。そして、この立場反対する者を異端宣言(タクフィール)することによって、教敵の勢力削いだ目的達成のためには暴力も辞さなかった。勢力的な活動結果、彼が没する18世紀末から19世紀変わり目には、アフバーリー派の勢力は、ほぼ潰えてしまったといわれている。こうして伝承重視に対して理性働き重んじるオスーリー派が力を得るようになった。 オスーリー派の勝利は、モジュタヘドの勝利であった。モジュタヘドとは、法解釈において独自に理性的判断下す機能イジュティハード)を許可され宗教学者のことである。元来イスラームでは聖職者階級存在しないため、誰であっても一定の学的水準達したものは、独自の法解釈に基づき行動することができる。しかし、現実には一般信者一定の学的水準達することは極めて困難である。モジュタヘドになるためには、通常何十年もの年月要したからである。例えば、アラビア語文学倫理学クルアーン解釈学伝承がく、聖者伝法学倫理、他の宗派教義など、幅広い知識を必要とした。したがって一般信者ムスリムとしての宗教的社会的義務遂行するとき、その行為規範提供する宗教学者助言求める。これをタグリード(模倣)という。 シーア派教義によると、全ての信者少なくとも一人規範対象を持たなければならない。この規範模倣)の対象(源)をマルジャア・アッ=タグリードという。マルジャア・アッ=タグリードは生きたモジュタヘドであって故人であってならない信者宗教学者のこの関係は、オスーリー派の勝利によって一層強化された。 ベフバハーニーの没後19世紀半ば近づく頃、ウラマー階層全体を最も学識のある単一のマルジャア・アッ=タグリードの下に統合しようという動きがあった。その結果単一のマルジャア・アッ=タグリードになったのがサーへべ・ジャヴァーヘル、そしてその後受けたのが、シャイフ・モルタザー・アンサーリーであった。特にアンサーリーは「法学者封印」とさえいわれ、十二イマーム派教学に、大きな足跡残した。こうしてマルジャア・アッ=タグリードがシーア派世界君臨する多勢出来上がった。この経過以後発展について、モタッハリーは、1960年代執筆した宗教学者組織基本的問題」という論考のなかで次のように説明している。 新しい(西洋文明がまだイラン来ておらず、都市間の交流手段が今よりも貧しかった100年ほど前までに、各都市人々は、自分たちの資金ホムス)を同じ町のウラマー支払っていた。そしてそれらの資金大半は同じまちで費やされていた。しかし、この一世紀において、それぞれの地点相互に接近する新し手段発明されたために、資金はマルジャア・アッ=タグリードという人物支払うことが習慣となった。これ以後、マルジャア・アッ=タグリードの居住する中心地注目を受けるばかりか彼の命令従われるようになったその結果、(これらの宗教的資金のうち)イマームの取り分と言われる部分が、新しい土地からもたらされて、宗教学院(の収入)としてはいることになったため、学院拡大した全体として、(人々の)往来が盛んとなり、人びちが身近にマルジャ面会し学院拡張し学生卒業生の数が増え徐々に町やマルジャの影下に入ったため、指揮権権力拡大されのである同時代にこの指揮権権力十分に行使し、その指揮権権力拡大するために新し手段活用した人物が、シーラーズィーであった。この権力指揮権初め明らかにしたのが、かの有名なタバコ利権に関する教令ファトワーであった単一のマルジャア・アッ=タグリードの体制出来上がったため、経済的に基盤安定した宗教学層は、イラン近・現代史上、特異な社会政治的役割演じることができた。

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