初代 KPDA型とは? わかりやすく解説

初代 KPDA型(1962年-1970年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:11 UTC 版)

マツダ・キャロル」の記事における「初代 KPDA型(1962年-1970年)」の解説

1962年昭和37年2月 製造開始当初2ドアが、翌年1963年昭和38年)にデラックス仕様車の4ドア発売され、その当初大ヒットした。 東洋工業当時)は1960年昭和35年)にマツダ・R360クーペ軽乗用車業界参入していたが、これは4人乗りながら後部座席極めて狭く実質2座席車であった当時軽乗用車市場席巻していた完全4人乗りスバル・360対抗するには機能面で不足で、発売当初こそ低価格注目されたが、スバル牙城を崩すには至らなかった。また空冷V型2気筒簡易なエンジン乗用車エンジンとしてはやや洗練欠けることも否定できなかった。 キャロルはこれに代わる主力車として開発企画されたもので、当初1961年昭和36年)の東京モーターショーで700ccセダン、「マツダ700」として原型発表されたものの、360ccの軽自動車として市場出された。 特徴は、軽乗用車ありながらトランクルーム兼用ボンネットキャビン車体後部エンジンルーム外見的に分離した「ノッチバックスタイル」を用い後部座席背面リアウインドウ部分ガラス垂直に立てたクリフカット」型として、ヘッドクリアランスエンジンフード(他のFR車でトランクリッド)の開口面積を稼ぐ手法を採ったことである。このデザインアメリカ製大型車や、イギリスのフォード・アングリア1959年(105E)型などの先例があるが、日本では珍しい個性的なデザインであったパワートレーンも、軽規格の360ccながら、水冷 4ストローク 直列4気筒 OHVのアルミシリンダーエンジンを奢る異例ぶりで、それをリアに横置き搭載したリアエンジン後輪駆動車である。ラジエーターエンジン接して装備され走行による風圧利用できないため、エンジン駆動強制冷却ファンによって側面から冷却気を導入する。このファンの音も初代キャロル特徴のひとつとなっている。前述の「クリフカット」より、車内騒音低減性・車両整備性にも有利だった水冷4気筒4ストロークOHVというエンジンは、軽合金材料や高剛性5ベアリングクランクシャフト半球燃焼室クロスフロー配置の吸排気弁など、当時小型乗用車比較して極めて高水準設計で、この時代軽自動車としてはホンダ・T360スポーツカー用を流用したDOHC4気筒エンジン並び、非常に贅沢なものであった。これはエンジンブロック設計共用しつつ、排気量拡大し続いて発売される上位小型車ファミリア)へも搭載して開発コスト抑えるというスケールメリット念頭に置いてのことであった水冷4気筒エンジン採用は、ゴムスプリングを利用するナイトハルト機構ソフトな乗り心地4輪独立懸架並んで振動抑制静粛性確保には絶大な効果発揮したが、2倍以上の800cc級にまでゆとりを持たせて対応したブロック設計災いし、360ccエンジンとしては体積重量とも過大であった。またフル・モノコック構造ボディは、部材剛性高くする配慮が採られ、当時としてはかなり頑強であったが、それだけ重量嵩み空冷2気筒エンジン積んで400kg未満軽量なR360クーペスバル360比較すると、空車重量で150kgも重くなっていた。 もともと当時軽自動車規格合わせて全幅は1,300mm前後と狭いが、これに加えて前後方向スペーストランクエンジンルーム取られるなどの原因で、乗員はかなり窮屈な乗車姿勢強いられる1962年昭和37年11月には、600ccのエンジンを持つキャロル600発売された。軽規格キャロル360先駆けて4ドア発売した6001963年昭和38年3月9日マツダ100万台目生産車にもなっている。360よりもデラックス内外装大型バンパーなどが特徴だったが、室内スペース狭さ360同様で、本格的な小型自動車規格の800cc車であるファミリアセダンの生産開始に伴い2年ほどで生産、および販売終了したキャロル360は、軽乗用車初の4ドアモデル利便性や、デラックス装備類で、当初1962年発売年から3年連続自動車販売台数首位に立つなど、華々しいデビュー飾った1963年9月には早くもマイナーチェンジをし、軽自動車初の4ドアモデル追加されている。スバル・360優位一時脅かしたが、当初から車重重さによる動力性能不足が指摘されていた。競合するスバル軽量ボディによる元来動力性能の高さに加えデラックス仕様充実値下げ巻き返し図って4年目には首位奪還キャロル市場主導権を握るまでには至らなかった。さらに1966年以降軽乗用車市場への新規参入スバル以外の既存メーカー新型発表続出し、ことにスバルをも上回る高性能ホンダ・N360などが登場すると、動力性能スペース効率不利なキャロル弱体化著しいものとなった当時ロータリーエンジン小型車開発などに注力していた東洋工業は、キャロル根本的なモデルチェンジ余力割けず、その機を逸したまま、1966年マイナーチェンジを行う。エンジン出力の向上、陳腐化したダミーグリル・リアデザインのモダナイズや、スペアタイヤエンジンルームへの移設(トランクスペースの拡大)が施されたが、根本的なパッケージング悪さによる車内狭さと、元来車重過大パワー不足による動力性能低さ解決困難で、その末期にはスペック販売実績とも軽乗用車市場の中では最下位位置する存在となってしまった。 モデル末期には打開策として1ローター仕様ロータリーエンジン搭載計画もあったが、頓挫したロータリーエンジンはその特殊構造高出力のため、課税規制見地から額面上の排気量レシプロエンジン基準換算する必要があるが、仮に普通車規格並み換算基準認めると、実質的にレシプロ360ccよりはるかに過大な排気量を持つ強力エンジン実現してしまうため、他の軽乗用車メーカーからは問題視され業界内でのクレーム上がった結局当時運輸省による判断で、軽自動車エンジンとしての許可下りなかった。実車搭載による試作なされたが、1ローターエンジンではエンジン振動自体大きく燃費も悪い等のデメリットがあり、また1ローターだと逆作用の力が加わってしまった場合ローター逆回転してしまう等のトラブル生じた問題ある程度克服したが、市販車として認可される途が開けず計画実現しなかった。 後継車ロータリーエンジン搭載計画されフロントエンジン車のシャンテとなったが、これもまた1ローターエンジンの頓挫から、同社既存の軽商用車であるポーター/ポーターキャブ用の水冷直列2気筒2ストロークエンジン用いざるを得なかった。

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