内務省神社局『国体論史』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)
1922年(大正10年)1月、内務省神社局が『国体論史』を出版する。緒言に次のようにいう(大意)。 近時、思想界の動揺に際して、危険思想の防遏や思想の善導ということが識者の間で盛んに唱道されている。なかでも我が国体の淵源を明らかにし、国体に関する理解を国民に徹底させることは最も緊要かつ有効な方法である。ここに本局(内務省神社局)は、嘱託の清原文学士(清原貞雄)をして、主に徳川時代以降の国体に関する所論を調査・編述させ、あわせて国体観の問題に開係ある諸種の事実を叙述させた。これによって国民思想の指導の参考資料とするものである。 そして巻末で余論と称して、国体論者に釘を刺す意見を次のように主張する(大意)。 我が国のことを何事も嘆美・誇張し、世界無比にして天下に卓絶するものであると説くのは、儀式的な祝辞として述べるにはいいが、我が国体の優秀さを国民に心から納得させるには全く無益であり、外国人から見れば誇大妄想狂にすぎない。 国民を心から納得させるには、科学知識に抵触しない理論の上に立たなければならない。神話は国民の理想・精神として尊重すべきだが、ただ尊重するものでしかない。神話を根拠として国体の尊厳を説くのは危い。神話と矛盾する進化論の知識を注入されている国民はこれを信じないからである。固陋な論者はこれを信じない者を賊子と指弾して攻撃する。そうすれば国民を黙らすのは容易かもしれないが、その心を奪うのは不可能である。 そもそも国体とは「一国が国家として存立する状態なり」と言える。この定義は広すぎるかもしれないが、こう言わなければ国体なる語の内容を言い尽くすことはできない。最狭義に統治権の主体の如何を言うことはもちろん、建国の事情によって定まるとか何とか言うのも、国体という語の内容の一部に過ぎず、我が国体の優秀の理由の一部に過ぎない。 我が国体の優秀とは、上下が仲良く和やかに、うち解け合って一体を成し、しかも整然とした秩序があり、国家として最も強固に存続する状態である。この国体の優秀は我が国の社会の成り立ちに由来する。すなわち、上に国民帰向の中心として有史以前より連綿と継続する皇室があり、下に皇室の支流である国民が皇室を奉戴して、有史以来上下の秩序を替えず、また幸いに外国の侮り(支配)を受ける事もなく、国家が一方向に発展することである。一言でいえば、一つの中心点(皇室)に向かって国民が寄り集まって堅固な国家を成したのである。 ある種の社会主義者の言うように、国内に上下の差別なく一切平等にして、国際間に紛争なく和気あいあいと長閑な世界を作るという理論は空想にすぎない。われらはあくまで国を強固にして、主権に対する絶対服従義務のうちに正当な自由の権利を保持し、国家に対する自己犠牲によって相互の幸福を享有しなければならない。このような国家を形成するには、上に命令者として広く国民を納得させる者の存在することが第一必要条件である。我が皇室は最もこの条件に適合し、しかも今(第1次世界大戦後)の世界において唯一の存在である。 悠久の昔、いわゆる天孫民族の一族が大八島(日本列島)に渡来して夷族を平らげた。神話・伝説によって察すれば、現皇室の祖先が始めからその首長として一族を率いたことは疑いない。宗家の家長を首長と戴く一族は、支族に支族を生じ、徐々に発展して国家を形づくり、都を九州から東に遷して大和を占拠し、ついに今日の大日本帝国の基礎を開いたのである。すなわち我が国は、多くの学者が認めるように一大総合家族というべきものであり、その始めから宗家の家長として全族に臨んだものは、現在の皇室の祖宗である。 全国民が心に不満を抱かずに服従できる首長として、これ以上の者はない。 もし死後の霊魂が不滅であるとすれば、その生前に自分を愛護してくれた父祖が、死んで霊魂になったとしても、その愛護を止めることはないと感じる。また自分が子孫の幸福を切実に願うことから類推しても、父祖の霊魂は必ず自分とその子孫を愛護すると感じる。ここに祖先祟拝の信仰が存在する所以がある。その父祖の霊魂に対する信念は自家の古い祖先に及び、さらに一族共通の祖先に及び、ついに大祖先たる皇祖にも及ぶ。これらを総括したものが、日本の神道の根本である。 ある人は先祖崇拝を報本反始の儀礼に過ぎないという。これは神道を宗教と区別する事を曲解したものであり、神道の内容には儀礼だけでなく信仰もある。もし信仰に欠ける儀礼であれば神道は無力である。国民は祖宗の霊がその子孫や国家人民を保護すると信じるからこそ神道に力がある。祖先の霊の保護の下に一家一族を形成し、さらにこれを総合した宗教、すなわち皇祖皇宗の霊の保護の下に我が国を形づくる。渾然一体の一大有機体であり、そこに万世不動の秩序がある。数千年にわたりこの事に馴らされた国民は、教えなくても父祖を敬愛し、また宗家すなわち皇室を尊奉する。前者を孝といい後者を忠という。学者はこれを忠孝一本と名づける。忠を尽せば孝に適うということである。そうして国家として最も自然的に最も鞏固に存在することが我が国体の特色である。 ある人は、この総合家族制を立国の根本義とすることを批難して、我が帝国が朝鮮・台湾・樺太を加えていることに支障を生ずると論じる。しかし、そはやむを得ないことである。根幹となる大和民族の国家を磐石にすれば、発展とともに段々と附属し来た民族には権威と恩恵をもって臨めばいい。もし新附の民族をも同一範型に容れられる立国根本義を求められないこともないが、総合家族ほど堅固になることは到底ありえない。 天孫降臨の神勅によって我が国体は定まったという人も多いが、それは間違いである。神勅の有無にかかわらず、我が国家の社会的成因が、万世一系の皇位を肯定し、その他を否認するのである。神勅はただその事実を表明したものに過ぎない。神代史は歴史と神話が半々のようなものである。神勅は神話として歴史的事実でないと考える者もいる。しかし、国体論においては神勅が事実であろうが神話であろうが根本問題ではない。神勅が史実であるにせよ、神話すなわち民族的理想の表明であるにせよ、社会的事実は変わらず、国体論は動かない。 帝国憲法も教育勅語も元来存在する事実を顕彰したものであり、これによって国体が定まったわけではない。 統治権の主体について国法学者の間にあれこれ議論がある。一方は統治権の主体を国家とする説(美濃部達吉らの国家主体説)、他方は統治権の主体を天皇とする説(上杉慎吉らの天皇主体説)である。前者(美濃部ら)は国家が国家全体の利益のために存在すると説き、後者(上杉ら)は国家が天皇個人の利益のために存在すると説く。後者(上杉ら)は前者(美濃部ら)の説をもって、天皇の神聖を侵し、国体の尊厳を危くするものであると非難する。しかし、我が国において敢えてこの事を宜明する必要があるのか。規定しなくても国民の大多数は忠魂をもって皇室に尽したいと願い、また歴代天皇は自身を顧みずに国民を憐む。これ我が国体の善美の表れである。しかし冷かな法理によって天皇を神聖視することを強制しようとすること(上杉らの天皇主体説)は、いわゆる贔負の引き倒しであって、皇室に対する国民の忠義の熱情に水をさし、歴代天皇の聖徳を無にするものである。
※この「内務省神社局『国体論史』」の解説は、「国体」の解説の一部です。
「内務省神社局『国体論史』」を含む「国体」の記事については、「国体」の概要を参照ください。
- 内務省神社局『国体論史』のページへのリンク