内務省式改良便所の設計者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 23:26 UTC 版)
「高野六郎」の記事における「内務省式改良便所の設計者」の解説
内務省衛生局に入って以来、寄生虫や感染症の予防のため、都会のように下水道や水洗便所を整備することができない農村の事情に鑑み、汲取便所の改良に執念を燃やした。 当時は改良便所として、大正便所や昭和便所などの先駆的な試みが存在したが、高野はチフス菌、赤痢菌、コレラ菌などを培養した便汁を3年浴び続け、ついに全ての菌や寄生虫を死滅させる、衛生的な内務省式改良便所を1927年に完成させる。その苦労は『便所の進化』(1941年)に詳しい。 ただし、隔壁が2枚の昭和便所に対して、内務省式改良便所は隔壁が4枚と多いために便池が詰まりやすい問題があり、汲取口とは別に掃除口を設ける必要があるなど面倒で、実用に難があったので、内務省が直々に普及を図ったにもかかわらずあまり普及しなかった。そのため、戦後に隔壁を少なくするなどさらに改良した「厚生省式改良便所」が開発された。この「厚生省式改良便所」をベースとして昭和25年施行の建築基準法第31条に定められたのが現行の汲取便所である「改良便槽」である。 つまり、高野は文筆家として「内務省式改良便所」に至るまでの日本の便所の進化をまとめたという点と、「内務省式改良便所」の設計によって現在の日本の便所(と言っても平成時代以降の日本のトイレはほとんど水洗だが)の基礎を築いたという点で、日本の便所の歴史において重要な人物である。
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