内務省幹部の裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 07:22 UTC 版)
「セルギエフ・ポサードOMON伏撃事件」の記事における「内務省幹部の裁判」の解説
2001年、セルギエフ・ポサードOMONの移動中の安全を保障する職務を適切に果たさなかったなどとして、元モスクワ州内務総局副局長ボリス・ファジェーエフ少将、元ロシア内務省チェチェン駐留部隊指揮官ミハイル・レフチェンコ大佐、元ポドリスクOMON指揮官イーゴリ・チーホノフ少佐の3名が過失致死罪(ロシア連邦刑法第293条第2項)で起訴され、2002年1月18日にスタロプロムィスロフスキー地区裁判所による公判が始まった。ただ、実際にはモスクワのプレスネンスキー地区裁判所での出張公判となった。3月22日、スタロプロムィスロフスキー地区裁判所は、重病により訴訟手続が中断されたチーホノフを除く2被告、ファジェーエフとレフチェンコを無罪とした。判決では、責任を主として死亡したマルケロフ大佐に帰し、ファジェーエフは別の部隊に同伴してグデルメスへ向かう任務を帯びていたこと、レフチェンコは着任したのがそもそも事件の前日であったことなどから、過失責任を問うべきではないとした。検察は3月26日に上訴した。6月5日、チェチェン最高裁判所は無罪判決を破棄した。 ファジェーエフとレフチェンコが再起訴され、審理の場はモズドク地区裁判所に移った。2003年9月30日、予審が開始される予定だったが、ファジェーエフとレフチェンコが出廷しなかったため延期された。犠牲者遺族のニコライ・グラチェフは、ほとんどの関係者がモスクワ周辺にいる以上モズドクでの裁判には無理があるとした。結局11月26日に予審が行われ、前回裁判同様にプレスネンスキー地区裁判所で出張公判が行われることになり、12月23日に開始された。2004年2月20日、モズドク地区裁判所はファジェーエフとレフチェンコの重大な過失を認定して懲役4年を言い渡したが、2000年5月26日に実施された大祖国戦争勝利55周年記念の恩赦を適用し、2人の刑罰を免除した。弁護側の上訴を受けモズドク地区裁判所で再び審理が行われた。2004年12月15日に下された新判決は前判決を完全に踏襲したもので、懲役4年を言い渡して直ちに恩赦した。2005年2月25日、北オセチア最高裁判所はモズドク地区裁判所の判決を支持し、被告の上訴を棄却した。2005年6月2日、北オセチア最高裁判所幹部会もモズドク地区裁判所の判決を支持した。 セルギエフ・ポサードOMON隊員の遺族には、一連の過失致死裁判について批判的な者もいた。過失致死事件として扱われることで、殺人事件としての、つまり誰がセルギエフ・ポサードOMONを襲撃したのかの捜査がおざなりにされることを懸念したからである。
※この「内務省幹部の裁判」の解説は、「セルギエフ・ポサードOMON伏撃事件」の解説の一部です。
「内務省幹部の裁判」を含む「セルギエフ・ポサードOMON伏撃事件」の記事については、「セルギエフ・ポサードOMON伏撃事件」の概要を参照ください。
- 内務省幹部の裁判のページへのリンク