三野塚・渋山の住民
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宮脇 真由(みやわき まゆ) 哲平の小学校から中学校までの同級生。駆野住民。本作のヒロイン。ポニーテールでリボンやゴムの髪留めで後ろ髪を束ねている。祖父と二人暮らしで農作業の手伝いも行う。少年行動隊に所属し、哲平と一緒に反対運動を実施する。 母が死去してから父とは別居しており、以前のように父、祖父と一緒に暮らすことを望んていた。 中学卒業と同時に少年行動隊も卒業し、祖父も土地の売却を決断したことから空港反対運動から手を引いた。そのため第二次行政代執行の闘争には参加しておらず、登場もしていない。中学卒業時に空港が「我が師」だと語った。哲平とはいつまでも友達であると約束し、一緒に手を繋ぎながら蛍を眺めたのが最後の思い出になった。 宮脇 信二(みやわき しんじ) 真由の父。以前は真由の祖父とも一緒に農業に従事していた。妻が死んでから東京で事業を行うようになり、年に4、5回しか帰ってきていなかった。空港建設を巡り真由の祖父と対立し、最期は事業が失敗して多額の借金が残った。 真由の祖父 真由の祖父。猟銃を所持しており、農業とともに雉などを狩猟して生活している。明治時代に病気で軍馬として使えなくなった白馬を撃ち殺しており、真由が見た白い馬をその馬が野槌になった姿ではないかとした。空港1期工事の予定地の住民であり、空港絶対反対の立場で行動し、もし土地を手放すときは心中するつもりだった。村の人と喧嘩してから酒飲みとなった。 自宅に樹齢200年のクスノキがあり、ご神木と呼ぶ。 息子の信二が抱えていた借金に加えて行政代執行での強権を目の当たりにし、心が折れてやむなく公団に土地を売却した。駆野の空港1期工事の予定地で最後まで売却を拒んでいた。 源次(げんじ) 哲平の小学校の同級生。天原住民。哲平の友人であり、張り合ったり喧嘩もした。空港反対運動開始当初は反対派を自認していた。 移転する前の家は茅葺き屋根で壁や扉は朽ちていた。中学入学と同時に父が空港公団からの移転補償金で建てた瀬田(せた)の邸宅に引っ越し、天原を離れた。 哲平の顔を見に第一次行政代執行最中の三里塚へ訪れているところを哲平に見つかるが、すでに両者の立場は異なっており、哲平の反対運動への誘いを振り切りながらも哲平と少年行動隊を応援して姿を消した。以降、哲平と二度と会うことはなかった。 源次の父 沖縄から引き揚げた開拓農民であるが、生計は楽ではないらしく、空港建設の有無に関係なく源次に農業を継がせるつもりはなかった。反対集会も部落の付き合い程度で参加しており、早期から条件交渉を行う。 補償金を受け取って移転に応じた後、家以外も車、カラーテレビ、電話、冷蔵庫を購入するなど、生活も大きく変わった。その後は新たに設立された空港の警備会社に就職し、生活も安定するようになる。行政代執行の際には公団側のガードマンとして反対派と対峙する。 上原 繁(うえはら しげる) 浩の友人。当初は繁も浩と同様に家出することを考えていたが、シルクコンビナート構想(空港予定地の一帯を養蚕地帯にしようとしていた農林省(現・農林水産省)認定事業)の養蚕青年部になった。農林省が進めた構想に基づいて作った3年で150町歩の桑畑を空港建設のためにやめることに悩む。 浩と一緒に御料牧場閉場式の会場を破壊し逮捕された。また、浩と同じく警察官3人が死亡した事件に関連して逮捕される。 繁の父 反対同盟の実力闘争に勝てないことを自認しており、負けなければよいと考えている。反対同盟員であるが、自分たちの土地の買収額を知る目的で空港公団が開いた集会に参加した。公団職員の村上と面会した際には「農は国の基」という言葉を使って三野塚の農業の重要性を説いた。 矢野原 純(やのはら じゅん) 浩と繁の高校時代の後輩。三ノ宮文男がモデル。佐和部落住民。大和農業高校では成績トップだった優等生。反収が部落で一番の農家で育ち、農業に対する思い入れが人一倍強く、田畑を広げて三野塚や渋山を豊かな里にすることを夢見る。 反対派の農民が移転農家への嫌がらせとして農作物を荒らした際には激しく憤り抗議した。 反対運動に参加し、比較的穏健な思想を持ちながらも闘争では他のメンバー同様に逮捕を経験している。砦の攻防で投げた火炎瓶でガードマンが火だるまになった様子を見て複雑な感情を抱き始め、3人の警察官が死亡した事件の後、遺書を残して自殺する。 戸田(とだ) 反対同盟の委員長。戸村一作がモデル。戸田農機を営む。無愛想だが、冨野での空港反対運動に参加していた経験や弁舌の才を買われて反対運動の指導者となる。絵が趣味。実力闘争の中で負傷や逮捕を経験している。 桑田(くわだ) 反対同盟の副委員長。瀬利誠及び石橋政次がモデル。反対同盟の中でも一番の頑固者であり、300万円をつぎ込んで空港予定地の敷地で自宅の新築工事を行い、強制測量前日に上棟式を開いた。武装路線を訴える全自連や青年行動隊に対して慎重な態度であったが、第一次代執行10日目の後に火炎瓶による抵抗を主導した。 須田 幹二(すだ かんじ) 浩の先輩で台東原住民。進学のため上京した大学生で、浩が家出を図った際、東京で頼る予定だった人物。大学ではベトナム戦争の反戦デモに参加していた。空港ができると在日米軍基地や羽田空港と同様にそこから軍用機が飛び立つと考え、反対運動に参加するため三野塚に戻ってきた。青年同盟に参加し主体的に活動していたが、父は当初から幹二に家を継がせる気はなく条件派となったことから反対運動から手を引き、東京に戻った。 吉岡 英明(よしおか ひであき) 加茂部落住民。菅沢一利がモデル。明治天皇の意志が顧みられずに御料牧場が空港になることへの反発から老人行動隊(老人決死隊)の組織に奔走し、一哲を勧誘する。老人行動隊を結成すると、自ら隊長となる。公団職員による測量にも糞尿を撒いて対抗し、機動隊に逮捕されている。 沢木 のぶ(さわき) 空港建設予定地に一人で住む鳥井部落住民の高齢の女性。小泉よねがモデル。7歳で奉公にでた。身寄りはおらず、もともと周囲の農家よりも住み着くのが遅かったため村の旦那衆からは余所者扱いをされていた。共に敷地内に残った真由の祖父とは仲が良い。 行政代執行の対象となると学生が支援し始めたが、第二次行政代執行で不意打ちを受け、住居を壊される。公団からの補償金を拒否し、行政代執行の3年後に死去した。 生島(いくしま) 茂田市立東小学校の教師で、哲平、真由、源次の担任教諭。初登場時は5年2組の担当。受け持ちの学級に反対派・条件派双方の家庭の生徒を抱え、空港建設の話を学校ですべきか悩む。 反対派の生徒らには闘争と関わりを持たないことを望む。 麻宮 恵子(あさみや けいこ) 哲平の小学校と中学校の同級生。中学1年生の2学期に移転で転校した。哲平の自宅と近く、小学生の時は恵子の自宅や御料牧場で一緒に遊んでいた。ヘアピンで前髪を留めている。 反対運動が起きてからは哲平が反対派の友人と遊ぶようになり、条件派の家の子である恵子とは疎遠になった。引っ越し当日、移転の条件であった家の取り壊しが実施され、見送りに訪れた哲平もその瞬間に立ち会った。哲平に小学生の時に一緒に遊んだ哲平の落書きがあるバレーボールを手渡し、去っていった。
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