三野塚・渋山の住民とは? わかりやすく解説

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三野塚・渋山の住民

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 04:06 UTC 版)

ぼくの村の話」の記事における「三野塚・渋山の住民」の解説

宮脇 真由(みやわき まゆ) 哲平小学校から中学校までの同級生。駆野住民本作ヒロインポニーテールリボンゴム髪留め後ろ髪束ねている。祖父二人暮らし農作業の手伝いも行う。少年行動隊所属し哲平一緒に反対運動実施する。 母が死去してから父とは別居しており、以前のように父、祖父一緒に暮らすことを望んていた。 中学卒業と同時少年行動隊卒業し祖父土地売却決断したことから空港反対運動から手を引いた。そのため第二次行政代執行闘争には参加しておらず、登場もしていない中学卒業時に空港が「我が師」だと語った哲平とはいつまで友達であると約束し一緒に手を繋ぎながら眺めたのが最後思い出になった宮脇 信二(みやわき しんじ) 真由の父。以前真由の祖父とも一緒に農業従事していた。妻が死んでから東京事業を行うようになり、年に4、5回し帰ってきていなかった。空港建設巡り真由の祖父対立し最期事業失敗して多額借金残った真由の祖父 真由の祖父猟銃所持しており、農業とともに雉などを狩猟して生活している。明治時代病気軍馬として使えなくなった白馬撃ち殺しており、真由見た白い馬をその馬が野槌になった姿ではないかとした。空港1期工事予定地の住民であり、空港絶対反対の立場行動し、もし土地手放すときは心中するつもりだった。の人と喧嘩してから酒飲みとなった自宅樹齢200年クスノキがあり、ご神木と呼ぶ。 息子信二抱えていた借金加えて行政代執行での強権目の当たりにし、心が折れてやむなく公団土地売却した。駆野の空港1期工事予定地で最後まで売却拒んでいた。 源次(げんじ) 哲平小学校同級生天原住民哲平友人であり、張り合った喧嘩もした。空港反対運動開始当初反対派自認していた。 移転する前の家は茅葺き屋根で壁や扉は朽ちていた。中学入学同時に父が空港公団からの移転補償金建てた瀬田(せた)の邸宅引っ越し天原離れた哲平の顔を見に第一次行政代執行最中三里塚訪れているところを哲平に見つかるが、すでに両者立場異なっており、哲平反対運動への誘い振り切りながらも哲平少年行動隊応援して姿を消した以降哲平二度と会うことはなかった。 源次の父 沖縄から引き揚げ開拓農民であるが、生計は楽ではないらしく、空港建設有無に関係なく源次農業継がせるつもりはなかった。反対集会部落付き合い程度参加しており、早期から条件交渉を行う。 補償金受け取って移転応じた後、家以外も車、カラーテレビ電話冷蔵庫購入するなど、生活も大きく変わったその後新たに設立され空港警備会社就職し、生活も安定するうになる行政代執行の際には公団側のガードマンとして反対派対峙する上原 繁(うえはら しげる) 浩の友人当初は繁も浩と同様に家出することを考えていたが、シルクコンビナート構想空港予定地の一帯養蚕地帯にしようとしていた農林省(現・農林水産省認定事業)の養蚕青年部になった農林省進めた構想基づいて作った3年150町歩桑畑空港建設のためにやめることに悩む。 浩と一緒に御料牧場閉場式の会場破壊し逮捕された。また、浩と同じく警察官3人が死亡した事件関連して逮捕される繁の父 反対同盟実力闘争勝てないことを自認しており、負けなければよいと考えている。反対同盟員であるが、自分たちの土地買収額を知る目的空港公団開いた集会参加した公団職員村上面会した際には「農は国の基」という言葉使って三野塚の農業重要性説いた矢野原 純(やのはら じゅん) 浩と繁の高校時代後輩三ノ宮文男がモデル佐和部落住民大和農業高校では成績トップだった優等生反収部落で一番の農家育ち農業対す思い入れ人一倍強く田畑広げて三野塚や渋山豊かな里にすることを夢見る反対派農民移転農家への嫌がらせとして農作物荒らした際には激しく憤り抗議した反対運動参加し比較穏健な思想持ちながらも闘争では他のメンバー同様に逮捕経験している。砦の攻防投げた火炎瓶ガードマン火だるまになった様子見て複雑な感情抱き始め、3人の警察官死亡した事件の後遺書残して自殺する戸田(とだ) 反対同盟委員長戸村一作モデル戸田農機を営む。無愛想だが、冨野での空港反対運動参加していた経験弁舌の才を買われ反対運動指導者となる。絵が趣味実力闘争の中で負傷逮捕経験している。 桑田(くわだ) 反対同盟副委員長瀬利誠及び石橋政次モデル反対同盟中でも一番の頑固者であり、300万円をつぎ込んで空港予定地の敷地自宅新築工事行い強制測量前日上棟式開いた武装路線訴え全自連青年行動隊に対して慎重な態度であったが、第一次代執行10日目の後に火炎瓶による抵抗主導した須田 幹二(すだ かんじ) 浩の先輩台東原住民進学のため上京した大学生で、浩が家出図った際、東京で頼る予定だった人物大学ではベトナム戦争反戦デモ参加していた。空港ができると在日米軍基地羽田空港同様にそこから軍用機飛び立つ考え反対運動参加するため三野塚に戻ってきた。青年同盟参加し主体的に活動していたが、父は当初から幹二に家を継がせる気はなく条件となったことから反対運動から手を引き東京戻った吉岡 英明よしおか ひであき加茂部住民菅沢一利モデル明治天皇意志顧みられずに御料牧場空港になることへの反発から老人行動隊老人決死隊)の組織奔走し、一哲を勧誘する老人行動隊結成すると、自ら隊長となる。公団職員による測量にも糞尿撒いて対抗し機動隊逮捕されている。 沢木 のぶ(さわき) 空港建設予定地に一人で住む鳥井部落住民高齢女性小泉よねモデル7歳奉公にでた。身寄りはおらず、もともと周囲農家よりも住み着くのが遅かったため旦那衆からは余所者扱いをされていた。共に敷地内残った真由の祖父とは仲が良い行政代執行対象となると学生支援し始めたが、第二次行政代執行不意打ちを受け、住居壊される公団からの補償金拒否し行政代執行3年後死去した生島いくしま茂田市立東小学校教師で、哲平真由源次担任教諭初登場時5年2組担当受け持ち学級反対派条件双方家庭生徒抱え空港建設の話を学校ですべきか悩む。 反対派生徒らには闘争関わり持たないことを望む。 麻宮 恵子(あさみや けいこ) 哲平小学校と中学校同級生中学1年生2学期移転転校した哲平自宅近く小学生の時は恵子自宅御料牧場一緒に遊んでいた。ヘアピン前髪留めている。 反対運動起きてからは哲平反対派友人と遊ぶようになり、条件派の家の子である恵子とは疎遠になった。引っ越し当日移転条件であった家の取り壊し実施され見送り訪れた哲平その瞬間立ち会った哲平小学生時に一緒に遊んだ哲平落書きがあるバレーボール手渡し去っていった。

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