三重高等農林学校時代
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「三重高等農林学校」の記事における「三重高等農林学校時代」の解説
1921年12月10日: 文部省直轄諸学校官制改正により三重高等農林学校設置 (勅令第456号)。 1922年1月: 12日、三重高等農林学校規程公布。16日、同校規則制定。本科 (修業年限3年) に農学科・農業土木科・林学科の 3科を設置。 1922年4月22日: 第1回入学式。25日 始業式、26日 授業開始。 1922年5月10日: 実験農場、初耕式。校地一帯は低湿かつ塩害の激しい土地で、自ら農業土木 (農地改良) の実践が必要だった。 1922年6月: 塔世橋事件発生。左側通行を巡り生徒と警察官が論争、塔世橋巡査派出所を襲撃。生徒2、3名検束。のち戒飭処分に。 1923年2月11日: 寄宿舎 (自治寮) を 「三翠寮」 と命名。「三翠」 は、三重 および 松のみどり・海のみどり・空のみどりに由来。 1923年2月18日: 校友会主催第1回兎狩り開催。のちに卒業生送別会を兼ねる。1936年まで毎年開催。 1923年11月: 「三重高農農業土木学会」 発足。 1924年3月: 実験農場改良に着手。8月完成。灌漑・排水に電動ポンプを導入。農地改良の実証研究となった。 1924年4月: 校外寮 「三慶寮」 開寮。 1924年10月: 校歌制定 『み空のみどり樹のみどり波のみどり』 (尾上八郎 作詞、弘田龍太郎 作曲)。 1924年11月1日: 開校式挙行。以後、この日を開校記念日とする。 1925年2月: 一志郡八幡村 (現・津市美杉町) に演習林設置。 1925年2月27日: 三重県立農業補習学校教員養成所を併置 (文部省告示第84号)。初代所長: 宇田一 (三重高農教授)。のちの三重青年師範学校 (現・三重大学教育学部)。 1926年11月: 映画 『我が学園の誇』 校内で撮影。文部省による農事改良PR映画。『我が学園の誇』 は三重高農関係者による通称。 1928年1月: 「三重高農農学会」 発足。 1929年11月: 開校記念日の一般公開 (学園祭) 開始。 1931年3月: 熱帯植物温室設置。 1931年11月: 三重高農同窓会発足 (現・三翠同窓会)。 1932年4月: 校外寮 「志登茂寮」 開寮。 1933年4月28日: 第二拓殖訓練所を設置。満蒙開拓民の教育が目的。1年制。 1936年2月: 農林博物館竣工。 1936年11月: 同窓会館 「三翠会館」 開館 (現存、登録有形文化財)。 1938年4月: 農村工業実科を設置。1年制、中等学校卒業後1年以上農業経験を持つ者対象。
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