三重電気鉄道を経て近鉄に合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 06:56 UTC 版)
「三岐鉄道北勢線」の記事における「三重電気鉄道を経て近鉄に合併」の解説
戦後、近鉄名古屋線・近鉄山田線などの幹線鉄道路線は近鉄が、北勢線・三重線(現在の湯の山、内部・八王子線)・志摩線などの支線鉄道路線は三重交通が運営していた。一方、バス路線はその大半を三重交通が運営していたが、1961年(昭和36年)に運輸営業を廃止した近鉄伊勢線の代替バスを近鉄が運営するなど、三重県内の鉄道・バス事業の運営は近鉄と三重交通が入り乱れていた。この状況を打開するため、近鉄と三重交通との間で、三重県内の鉄道路線は近鉄が、バス路線については三重交通が一元的に運営とする基本方針がまとめられた。これに従って、1964年(昭和39年)に三重交通の全額出資で三重電気鉄道が設立され、三重交通が鉄道事業を三重電気鉄道に分離譲渡した上、1965年(昭和40年)に近畿日本鉄道が三重電気鉄道を合併することにより、三重県内の鉄道運営主体が近鉄に一元化された。これにより、北勢線は近鉄の路線となった。近鉄時代には牽引運転やタブレット閉塞の廃止、ATSや列車無線の導入、ワンマン化など徹底した近代化が行われた。廃線表明直前には技術面・保安面は他の私鉄ローカル線と同レベルに引き上げられていた。
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