パイロットからの評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 03:31 UTC 版)
「F4U (航空機)」の記事における「パイロットからの評価」の解説
F4Uは速度と機動性に優れた戦闘機だった。速度で劣る相手では機動性に、機動性で劣る相手には速度で戦うことができた。バランスだけのとれたものではなく強みも確かだった。特にエルロンと昇降舵のブーストタブにより、高速と瞬間機動性が優れていたので、おおきさとは異なり、大変素早い戦闘機であった。このように、機体自体の性能と戦闘力は優れていたため、戦場とは異なり、試験飛行や比較飛行のように、同じ条件で同じパイロットが他の戦闘機と交互に搭乗して比較した場合、F4Uは大変高い評価を受けた。 当機のロール性能はP-38、P-47、P-51、F6Fなどの他のアメリカの戦闘機よりも優れ、鹵獲したFw190との比較では、同等に評価された。しかし、エルロンにブーストタブがインストールされていない初期のF4U-1は、高速ではP-38、P-47、P-51に劣ると評価された。 これは戦後も続いて軍の退役パイロットに結成されたSETP (Socioty of Expermental Test Pilots) は、1989年にシンポジウムを開き、現代の技術を利用してFG-1Dコルセア、P-47D-40サンダーボルト、F6F-5、P-51Dマスタングの4機種を比較して、軽量快適な操縦力、良好なパフォーマンス、十分なストールアラート、緩やかなストールの特性を理由にFG-1Dをドッグファイト最高機体に選んだ。FG-1Dは、内部燃料と弾薬を満載した作戦機体より1,000lbs軽く92%の重量を持ち、88%で1,200lbs軽いP-51D、86%で、2,000lbs軽いF6F-5、80%で3,000lbs軽いP-47D-40に比べて重量の面で最も不利し、主翼に装着されたスタブパイロンにより空力面でもペナルティを受けたが、テストでは、優れた機動性を披露した。一方向旋回では、不利な条件もありF6Fに押されたが、軽い操縦力と迅速なロール性能により、敏捷性テストの横転を混ぜた180度機首転換は、他の3機種と比較して圧倒的に優勢であり、空対空追跡テストの激しい横転を混ぜた連続旋回においても最も優れた姿を見せた。これはコルセアが持つ高い機動性の特性を示すもので、戦争中コルセアに搭乗していたパイロットの証言を証明するものである。 空戦能力即ち旋回能力と定義していた日本軍のパイロットの中には、これらのF4Uの戦法を運動性が低いためであると見て低く評価する事も多かった。ラバウルで活動していた日本のエース谷水竹雄は「機動性が高く、高速横転が可能だったF6Fは最もタフな相手でした。P-38やF4Uは細かい機動をせずに一撃離脱をするだけだったからです。」と評価した。しかし、後にTAICの捕獲した零戦の米軍戦闘機の比較飛行結果、F4Uの旋回力はF6Fのような機種と大差がなく、むしろ効率的なフラップにより、より小さな旋回が可能であることが判明した。さらに、米国と日本の資料を交差検証した結果、1943年末のラバウル航空戦期間中にラバウル航空隊に最も多くの空中戦被害を与えた機種は、P-38やF6Fではなく、F4Uだったことが判明した。 1943年5月21日、フロリダ州のElgin AAFBで初めてF4U-1に搭乗した陸軍パイロットはF4U-1を大変賞賛した。P-38、P-39、P-40、P-47、P-51などの陸上機との模擬戦闘でF4U-1は2万フィート以下では、どのような陸軍戦闘機も対戦相手ができないことを立証した。2万フィート以上では、P-47とP-51が優勢だった。陸軍パイロットはF4U-1に圧倒された感じを受け、山本暗殺作戦で活躍したベテランP-38パイロットであるレックスTバーバーは、米国が一つの機体で戦争に勝つためにならF4Uしかないと評価した。 メダルオブオナーとネイビークロス受勲者であるVF-3のエドワード「ブッチ」オヘア(英語版)は、VF-12のジョーイ・クリフトンが率いるF4U飛行隊との模擬空戦でF4Uの速度と機動性の優位性を体感し、F6FではF4Uの相手にならず、F4Uは海軍が持っている最高の戦闘機であると評価した。彼はハワイで自分のF6F隊が配備されたとき、彼専用のF4Uを持ってきていた。彼と彼のF6F飛行隊は、F4U飛行隊と2万フィートまでの上昇賭けをしたが敗北したこともあった。 F4U-4とF8F-1をはじめ、45年という期間の間、様々な航空機に搭乗していた海軍大佐であり、テストパイロット、エアロエンジニアだったリチャード・ボブズ・リンネキーンはF4U-4について「F4Uは素晴らしいアクロバット飛行機でした。」と評価してF8Fと比較して「F4Uは適切で不快でない操縦力を持つ安定した戦闘機でした。巡航時には快適さと耐久性を感じることができているにも関わらず起動応答は速く、比較的操縦しやすかったです。それはF8Fほど速くはなかったが、いくつかの領域においては、より良い操縦性を持っていました。私の主観的な印象としては、グラマンのいずれかよりもF4Uでより良い操縦性の調和がありました」とした。 英国の著名なテストパイロットであり、空母着艦のスペシャリストであったエリック・ブラウン大佐による評価は高くなかった。彼は大戦中のイギリスでコルセアIのテストパイロットを務め、その前後に書いた本でコルセアに対しての悪評を述べている。彼は自分の本で、コルセアIIはFw 190 A-4の相手にならず、ヘルキャット F Mk.IとFw 190ではパイロットの実力により勝敗が決すると評した。他のパイロットとは異なり、ブラウンはコルセアの昇降舵は重く、特異な離着陸性能は好きになれず、視界も不良だと評した。しかし、後の著書にて、コルセアは評価するのが難しい航空機であることを認め、ヴォート社のチーフテストパイロットの身長が193cmであることに言及し、F4Uのコックピット設計が自分の170cmの身長に合わなかったので視野と操縦で不便を感じたことを吐露した。実際ブラウンは身体的な限界を理由に他の同僚のテストパイロットと比べて低く評価されることがあった。ブラウンは、テストパイロットとして長い間コルセアに搭乗していたにも関わらず、「何の好感も持てなかった」と付け加えた。 一方、実戦でコルセアIIを運用した英国王立海兵隊唯一のエースだったロナルド・カスバート・ヘイ中佐はコルセアIIに対して「コルセアは戦争にぴったりの戦闘機でした。ヘルキャットより頑丈で速く、航続距離も優れていた。」と高く評価している。改善されたコクピットについては「まるで部屋で安楽椅子に座っているように感じるでしょう。それほどコクピットは巨大でした。操縦者はMk.IIの半バブルキャノピーを透して事実上無限の可視性と、正に王座のように感じるでしょう。」と好感を示した。しかし、英国王立海軍の中でF6Fに初めて搭乗した804 NASのエースだったスタンレー・ゴードン・オアは、「F6Fは間違いなく最高の海軍の戦闘機でした。F4Uの失速と視野の問題は (F6Fでは) 発生しておらず、飛行と着艦が楽な航空機でした。それはパイロットに多大な自信を与え、当時としては重要なことでした。」と回想し、F4UはF6Fと比べると空母での運用が難しかったことを指摘した。またシーファイア戦闘機の飛行隊長だったマイク・クロスレイ少佐は、シーファイアに比べ時速260km/h以上での補助翼の操作に必要な力は半分で済み、操縦席からの前方・上方視界は良好、側面視界は良くなかったと評している。 戦後の尋問でもラバウルの陸軍と海軍の両方は、最高のアメリカの戦闘機でF4Uを挙げた。草鹿中将指揮下の海軍は「F4Uは高速、重武装に防御力も高く撃墜するのは難しい素晴らしい飛行機であった。F4Uが最も良い戦闘機だったと思う」とし、今村陸軍大将指揮下の陸軍は「その機動性にとってF4Uを最高の戦闘機だと思う。高い装甲を持って大変速いからでもある。」とした。
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