トルーマン政権と軍との攻防とは? わかりやすく解説

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トルーマン政権と軍との攻防

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:30 UTC 版)

ハリー・S・トルーマン」の記事における「トルーマン政権と軍との攻防」の解説

トルーマン広島への原爆投下について1958年CBSインタビューで「まったく心が痛まなかった」と語り公式的な場でも原爆投下正当化し続けていた。だが、トルーマン原爆投下直後に深い後悔の念を抱いていたこと、トルーマン自身一般市民犠牲にする行為反対していたこと、トルーマン政権と軍の間に知られざる攻防があったことが近年明らかになった。 原爆による最大破壊効果を得るために選ばれたのは東京湾から佐世保までの17か所であったが、その中で広島京都が有力候補上がっており、「マンハッタン計画」で原爆計画責任者努めていたレスリー・グローブス准将京都推したグローブスは「京都外せなかった。最初原爆破壊効果隅々まで行き渡る都市落としたかった」と述べていた。しかし、陸軍長官ヘンリー・スティムソンはかつて京都2度訪問し原爆投下すれば夥しい数の市民犠牲になること、そして文化的宗教的重要性から日本人対米感を決定的に悪化させ、戦後政策重大な影響を及ぼすことを認識していたためこの案を却下した一方グローブススティムソンとの面会から1か月後、京都軍事施設があるという報告書作成し京都駅絹織物の糸を作る紡績工場軍事施設として報告していた。京都への投下国益損なうと考えていたスティムソングローブス提案認めようとはしなかった。 1945年7月16日ニューメキシコ州世界初原爆実験成功した一方で日本では既に多く都市空襲焼け野原となり降伏間近見られグローブス戦争が終わる前に原爆を使わなければならない考えた原爆実験から5日後、スティムソン部下から緊急の電報届き、軍は京都への原爆投下をまだ諦めていなかった。スティムソントルーマン報告し京都を外すよう求めトルーマン自身7月25日日記に「この兵器は今から8月10日の間に日本に対して使う予定になっている。私は陸軍省長官スティムソン氏に、使用に際して軍事目標物、兵隊水兵などを目標とし、女性子供目標としないようにと言っておいた。いかに日本野蛮冷酷無慈悲かつ狂信的とはいえ世界人々の幸福を推進するリーダーたる我々が、この恐るべき爆弾日本古都新都に対して落とすわけにはいかないのだ。この点で私とスティムソン完全に一致している。目標純粋に軍事物に限られる。」と記していた。 しかし、トルーマン元に軍から届いた新たな投下目標記した報告書最初に挙げられていたのは広島で、目標選定行っていたグローブスたちが意図的に騙すために報告書には「広島日本有数の港と軍事物資供給基地など軍の大規模施設が集まる陸軍都市である」と述べられていた。トルーマン広島原爆投下して一般市民犠牲ほとんどない思い込んでしまい、結局トルーマン投下目標から広島を外すことはなかった。 1945年7月25日、「最初原爆広島小倉新潟長崎のうちの1つ投下せよ。2発目以降準備出来次第投下せよ」とグローブス起草した原爆投下指令書発令された。1945年8月6日深夜1時45分部隊テニアン島離陸した。そして8時15分広島原爆投下された。ポツダム会談帰り道トルーマン大西洋船上船中演説開始し、「先ほどアメリカ軍日本の軍事拠点ヒロシマに1発の爆弾投下した原子爆弾がこの戦争引き起こしたの上解き放たれたのだ」とあくまでも軍事目標落とした強調した一方ワシントン報告受けたグローブスは、原爆開発した科学者電話し、「君たち誇りに思う」と労った。 8月8日トルーマンワシントン戻った直後スティムソントルーマンの元を訪ねた。そして広島被害捉えた写真見せトルーマンは「こんな破壊行為をしてしまった責任大統領の私にある。」と述べている。しかし、動き始めた軍の作戦止まることなく暴走し、同じ日に原爆長崎にも投下された。トルーマン友人である民主党のリチャード・ラッセル上院議員送った手紙に、「個人的に一国指導者の“強情”のために集団全滅させる必要性があるのか、明らかに後悔している」と心境吐露していた。また、1つ言っておくが、私は原爆全体に必要で無い限り使用しない」と日本降伏させるためにやむを得ない措置であることを強調した。さらに「ソ連戦争介入すれば、日本は非常に短期間降伏するだろう」とも記していた。トルーマンは「私の目的は、できるだけ多く米国人の命を救うこと」とする一方日本に対しては「日本男性子供たちには人間として同情感じている」「私は日本が非常に残酷で野蛮な戦争国家だと知っている。だが、我々も彼らと同じよう行動しなければならないとは思わない」と複雑な心境抱いていることを明かしている。書簡送られラッセル議員原爆投下2日前の8月7日トルーマンに、「もし我々が、(日本無条件降伏させるのに)十分な数の原爆保有していないなら、原爆出来上がるまで、TNT爆弾でも焼夷弾攻撃続け必要がある」などと、日本への徹底的な攻撃促す電報送っていた。 8月10日トルーマンは全閣僚集めこれ以上原爆投下中止する決断伝え、この場で「新たに10万人、特に子どもたちを殺すのは考えただけでも恐ろしい」と発言し、「大統領許可無し今後使用停止される」と決定した。 アメリカ・キリスト教会連盟原爆投下抗議電報対し8月11日トルーマンは「8月9日付の電報頂き感謝いたします。私ほど原爆使用心を痛めている人間はいません。しかし、私は日本宣戦布告なき真珠湾攻撃戦争捕虜虐殺にも非常に心を痛めました。日本人理解する唯一の言葉というのは、私たち日本人に対して原爆投下をすることのように思えますBeast)と接するときは、それをとして扱わなければなりません。非常に残念なことでありますが、それが真実です。」と返答したトルーマンその事実を覆い隠そうとし、長崎への原爆投下24時間後に国民向けたラジオ演説で「戦争早く終わらせ多くアメリカ兵の命を救うため原爆投下決断した」と用意されていた原稿には無かった文言加えられた。研究者はこの言葉が、市民の上投下した責任追及されないよう後付け考えられたものだと指摘するスティーブンス工科大学アレックス・ウェラースタイン准教授は「トルーマンは軍の最高司令官として投下責任感じていました例え非道な行為でも投下する理由があったというのは大統領にとって都合の良い理屈でした。この時命を救うために原爆使ったという物語生まれました世論操作するため演出されたのです」と述べている。 スティムソン原爆投下対す批判抑えるために、「原爆投下によって戦争早く終わらせ、100万人のアメリカ兵生命救われた」と表明した1947年2月)。 トルーマンの孫のクリフトン・トルーマン・ダニエル韓国聯合ニュースインタビュー対し、「祖父トルーマン大統領広島長崎原爆被害惨状大きな衝撃を受け、このため朝鮮戦争時原爆使用しなかった」と証言している。トルーマン朝鮮戦争では「原爆使用可能性排除しない。」との構え見せながらも、記者会見では「原爆恐ろしい兵器であり、(北朝鮮の)侵略に関係のない無実人びと女性子供に対して使用すべきではない。」と述べて中国対す原爆使用主張したマッカーサー国連軍司令官解任した。1962年にある教授トルーマンに「大統領として何か悔いることがありますか。」との質問に、「もちろん原爆だ。」と答え、「原爆投下悪夢うなされ続けており、大きな失敗犯した思っているが、原爆投下決定公に取り消すわけにはいかないので、それを抱えて生きるしかない。」と述懐した。 1964年ミズーリ州インデペンデンス市のトルーマン図書館で、トルーマンアメリカ訪問した被爆者面会したことがあり、世界平和研究使節団親善大使松本卓夫会談したトルーマン被爆者に対して原爆投下したのは日本人のためでもあった」と説明していたものの、最後まで目を合わさず、面会は3分程で打ち切られた。

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