トルーマン宣言
【英】: truman declarations
1945 年 9 月 28 日に、米国トルーマン大統領が行った二つの海洋政策に関する宣言。(1) 大陸棚に関するトルーマン宣言:開発技術の進歩に伴い、領海の外側の海底から石油などの鉱物資源を採取することが可能になってきた。そこで米国は、大陸棚が沿岸国陸地の延長であり、その資源も領域内資源の延長であるので、自己防衛のためこれらの資源に対する活動を監視しなればならないことを、この主張の理由にする。そして宣言において、公海の下にあるが米国の海岸に接続する大陸棚の地下と海底の天然資源を、米国に属しその管轄権と管理に服するものと見なすこと、他国との間の大陸棚の境界は衡平の原則に従って決定されること、大陸棚上部水域の公海としての法的地位に影響を与えるものではないことを主張したのである。このトルーマン宣言に示された原則を基礎にして、現在の大陸棚制度が発展してきたものとみることができる。(2) 保存水域に関するトルーマン宣言:米国の沿岸沖の公海漁業について、第二次世界大戦の終結に伴い再度外国漁船が進出してくる可能性があるため、これまで米国民だけが漁業を行ってきた水域については米国が、米国民と他国民とが共同して漁業を行ってきた水域については他国との協定に基づいて、保存水域を設定して漁業資源の保存を計るという、米国の政策を宣言したものである。 |

トルーマン・ドクトリン
トルーマン・ドクトリン (Truman Doctrine) とは、アメリカ合衆国が「武装少数派、あるいは外圧によって試みられた征服に抵抗している、自由な民族」を支援するとした、当時のアメリカ合衆国大統領、ハリー・S・トルーマンによる共産主義封じ込め政策 (Containment) である。
トルーマン大統領は、議会への特別教書演説で1947年3月12日に宣言を行った。それはギリシャ内戦(1946年 - 1949年)を始めとする共産主義に抵抗する政府の支援を特に目指した。トルーマンは、もしギリシャとトルコが必要とする援助を受けなければヨーロッパの各地で共産主義のドミノ現象が起こるだろうと主張した。
トルーマンは1947年5月22日法律に署名し、トルコとギリシャへの軍事と経済援助で4億ドルを与えた。
歴史的意義
トルーマン・ドクトリンが宣言された背景として、以前からギリシャ内戦に介入してきたイギリスが、その負担の重さからこれ以上介入を続けられなくなったことがある。
まず、アメリカがモンロー宣言以来の孤立主義と訣別し、南北アメリカ大陸以外の諸地域、とくに合衆国が伝統的には距離を置いてきたヨーロッパにも積極的に介入を進めていくという点。そしてそれは即ち、ギリシャ内戦中に英領インド(のちのインドやパキスタン・バングラデシュなど)を手放すなど斜陽化が進むなかで国際情勢に積極的に介入してきたイギリスに代わり、第二次世界大戦では連合国の盟主を務めたアメリカが世界の紛争に介入するという点、つまり「パックス・ブリタニカ」の終焉と「パックス・アメリカーナ」の到来(同時にそれは東側諸国にとっては「パックス・ソヴィエティカ」であった)。この2点を事実上、世界に宣言したことが、トルーマン・ドクトリンの重要な意義である。
アメリカ国内の保守派の受け止め方は様々であった。伝統主義者はトルーマン・ドクトリンを海外への非介入主義を破るものとして冷ややかに見ていたが、より積極的な反共主義者の中にはトルーマン・ドクトリンを共産圏を封じ込めるだけで過度に追い詰めないものとして批判し、ソ連に対する先制攻撃(予防的戦争)を主張する者もあった[1]。
脚注
- ^ 中岡望 『アメリカ保守革命』 中央公論新社、pp. 55-62
文献情報
関連項目
トルーマン宣言
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1945年9月28日にアメリカのハリー・S・トルーマン大統領は、「公海の一定水域における沿岸漁業に関する大統領宣言」を行った。この宣言は、「アメリカ国民のみが利用していた水域をアメリカの統制と管理下におくことが適当であり、他国民とともに共同利用されてきた水域は他国と合意された規程により統制管理される」としており、アメリカの資源の将来政策を述べるにとどまった。
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