海底への権利主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 08:36 UTC 版)
従来国際法上の海のとらえ方は、沿岸国の主権が及ぶ領海を狭くとり、すべての国自由が保障される公海を広くとるという、いわゆる「広い公海」と「狭い領海」の二元構造だった。しかしここで言う「公海」とは、海域を指す用語であって公海水域の下にある深海底を指す用語ではなく、かつては深海底区域に適用されるべき制度が存在しなかった。1945年9月28日、アメリカ合衆国がトルーマン宣言において、自国海岸に隣接する海底(大陸棚)とその地下にある天然資源がアメリカの管理・管轄に服することを宣言した。これは「広い公海」と「狭い領海」の二元構造の枠内で、上部水域を公海にとどめることで他国の航行の自由に配慮する一方、地形学的概念であった大陸棚を国際法上の概念として取り入れることで公海の下部にある海底の資源、その中でも特に石油に対する排他的権利を主張したものであった。しかしこのアメリカの宣言は、「狭い領海」と「広い公海」というそれまでの海洋秩序に混乱をもたらし、アメリカの宣言の同調した各国による沿岸海域分割の主張を促した。特に発展途上国の中には自国沿岸の海底に対してのみならず、アメリカが他国の航行の自由が認められるとした大陸棚の上部水域に対してまで自国の権利を主張したのである。1958年には大陸棚条約が採択されるなど徐々に大陸棚制度が確立していくが、大陸棚条約に定められた以下の大陸棚の定義は後のさらなる混乱をもたらすことになった。 自国沿岸に隣接している領海の外側の海底であって、水深が200メートルまでの海底区域、または、 水深が200メートルをこえているが海底天然資源の開発が可能な限度までの海底。 海底天然資源の開発が可能な限度まで、という大陸棚条約における大陸棚の範囲設定は、水深200メートルよりも深い海底部分を開発できるまでに海底開発技術を進歩させることができれば、理論上は自国の権利を際限なく沖合まで主張することを可能とするものであった。そのため各国の技術が進むにつれて、海底の軍事利用の危険性や過剰な資源開発競争に対する懸念が現実味を持つようになった。
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