海底ケーブル網の発展とその後の展開とは? わかりやすく解説

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海底ケーブル網の発展とその後の展開

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 15:20 UTC 版)

大西洋横断電信ケーブル」の記事における「海底ケーブル網の発展とその後の展開」の解説

大西洋横断ケーブル成し遂げた英国は、1870年ロンドンからインド到る海底電信ケーブル敷設1902年には太平洋横断電信ケーブル敷設した。こうして英国当時植民地を結ぶ大きなケーブル網 (All Red Line) を完成させた。このことによって英国情報伝達面において圧倒的な力を得た大西洋においては最初に敷設した2本のケーブルどちらも1870年代不通になったが、アングロアメリカン・テレグラフ社によって新たに数本ケーブルがヴァレンティア - ニューファンドランド間に敷設され、さらに他の会社でも敷設が行われるなど、本数増やしていった。また、1874年にはブラジルペルナンブーコからマデイラ諸島ポルトガル)を経由しカルカヴェロス(ポルトガルリスボン近郊)へと至る南大西洋線も敷設した一方他国大西洋横断電信ケーブルを引くようになったフランス1869年フランスブレストからアメリカケープコッドまでのケーブル敷設した。これは英国以外の国によって敷設され最初ケーブルであった(ただしこのケーブル保有していた会社1873年英国企業買収される)。さらに1879年にはブレストからサンピエール経由してケープコッドへ至るケーブル敷設しその後フランス - アメリカ間のケーブル敷設行ったドイツ1882年エムデンからヴァレンティアまでのケーブル敷設したが、ヴァレンティアからの大西洋区間英国のアングロアメリカン・テレグラフ社のケーブル使用していた。しかし、1900年ボルクムからアゾレス諸島経由してニューヨークへ至るケーブル敷設し1904年から1905年にかけて同じ経路でもう1本ケーブル増設した。 このように各国ケーブル増設続き1901年には北大西洋上に15本のケーブル敷かれていた。しかし、これらのケーブル途中で英国ケーブル経由しなければならなかったので、通信内容英国筒抜けであった。そのため英国優位はしばらく続いた20世紀に入ると、英国ケーブルへの依存から脱却する動きフランスドイツなどで強まり、さらに無線通信実用化されたことで英国優位性弱まっていった。そして1956年大西洋横断電話ケーブル (TAT) の敷設によって、電信ケーブル自体重要性薄らいだ1988年には大西洋横断光ケーブル施設されている。しかし、19世紀後半から20世紀前半において大西洋横断電信ケーブル多く分野影響与え、この時代における世界の一体化大きな役割果たした

※この「海底ケーブル網の発展とその後の展開」の解説は、「大西洋横断電信ケーブル」の解説の一部です。
「海底ケーブル網の発展とその後の展開」を含む「大西洋横断電信ケーブル」の記事については、「大西洋横断電信ケーブル」の概要を参照ください。

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