パクス‐ブリタニカ【(ラテン)Pax Britannica】
読み方:ぱくすぶりたにか
英国が、強大な海軍力と国際金融支配によって世界の秩序を維持していた時期をいう語。19世紀に始まる産業革命から20世紀初頭まで。パックスブリタニカ。→世界の工場 →パクスローマーナ
パックス‐ブリタニカ【(ラテン)Pax Britannica】
読み方:ぱっくすぶりたにか
パックス・ブリタニカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:31 UTC 版)
「近代における世界の一体化」の記事における「パックス・ブリタニカ」の解説
詳細は「チャーティズム」、「ロンドン万国博覧会 (1851年)」、および「ヴィクトリア (イギリス女王)」を参照 生産力において、また海軍力において他国を圧倒したイギリスは、ヴィクトリア女王(位1837年-1901年)のもとで太陽の沈まない国」と呼ばれる繁栄を享受し、1851年にはロンドンで第1回万国博覧会がひらかれてその威信を誇示した。博覧会会場に設けられた水晶宮は「パックス・ブリタニカ」の象徴となった。 この時代のイギリス外交は、卓越した海軍力を背景に他国と同盟関係をむすばない「栄光ある孤立」の政策をとり、フランスなどヨーロッパ列強との正面衝突は避けながらも、大陸において強大な勢力の出現することを牽制する勢力均衡策を採用した。 一方、中央アジアの覇権をめぐりロシア帝国との間には敵対関係と戦略抗争が生じ、これは後世「グレート・ゲーム」とよばれる。 国内政治では、1832年には選挙法が改正され、ブルジョワや工業都市の代表も議会に進出した。しかし、普通選挙はおこなわれなかったので、労働者はその獲得をめざすチャーティスト運動をくりひろげた。カトリック教徒の解放、奴隷制の廃止、郵便制度なども実現し、1870年には初等教育法が制定されて義務教育がはじまった。 ヴィクトリア朝では、小英国主義を掲げるウィリアム・グラッドストンの自由党と大英国主義をめざすベンジャミン・ディズレーリの保守党が交互に政権を担当する、二大政党による議会政治が展開された。
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