19世紀中ごろから1917年まで(パックス・ブリタニカの時代)
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「近代における世界の一体化」の記事における「19世紀中ごろから1917年まで(パックス・ブリタニカの時代)」の解説
詳細は「イギリス帝国」および「パックス・ブリタニカ」を参照 フランスとの植民地抗争に勝利し、世界にさきがけて産業革命をなしとげたイギリスが覇権を確立し、また、蒸気船の普及によって大量の工業製品の輸送や地球規模での移民が可能となったことにより、ここに世界の一体化がほぼ完成した。世界商品としては、上述した16世紀の砂糖、黒人奴隷、17世紀の茶、コーヒー、タバコ、キャラコ、18世紀の綿花、綿織物に加えて、19世紀には鉄鉱石、石炭、天然ゴムなどが主要な商品となっていった。 産業革命後のイギリス経済は次第に保護を必要としなくなり、「世界の工場」とよばれる圧倒的な経済的優位性を背景に自由貿易へと方向転換し、高いコストを要する植民地だけではなく、自由貿易さえ保証されれば、経済的従属下に置きはするものの必ずしも政治的支配をおこなわない非公式帝国を拡大していった。インドや東南アジアに対しては前者、清国やオスマン帝国に対しては後者の姿勢でのぞみ、市場と原料供給地の拡大を推し進めていった。相手国に自由貿易を強いる際は武力を発動することも多かったが、ヨーロッパ諸国の間では前世紀までくり返された戦乱や武力衝突がなかったため、この時代を古代ローマの「パックス・ロマーナ」にならい、パックス・ブリタニカ(イギリスによる平和)と呼んでいる。また、この時期のイギリス帝国の方針は「自由貿易の旗手」を自認したことから、後世自由貿易帝国主義と呼ばれている。 自由貿易帝国主義の遺産としてはロンドンのキュー王立植物園がある。そこでは、世界各地から資源植物を集め、品種改良などをおこなう場でもあった。さらに、イギリス植民地内の各植物園と情報交換などを行い、それによって、育成条件の合致する植民地に移植してプランテーションでの大量生産をはかった。 このような植民地への移植例としては、 中国産の茶をインドのアッサム地方やスリランカへ アマゾン川流域産の天然ゴムをマレー半島へ ポリネシア産のパンノキを西インド諸島へ マラリアの特効薬キニーネ(キナの樹皮)をペルーからインドへ などがある。
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