19世紀・トウシューズの誕生
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「トウシューズ」の記事における「19世紀・トウシューズの誕生」の解説
ファニー・ビアス(1821年) マリー・タリオーニ(1832年) 19世紀に入ると、一部の女性ダンサーが、瞬間的に、またはワイヤーで体を吊ることなどによって、爪先立ち(ポワント)のポーズを披露するようになった。ポワント技法をいつ誰が創始したのかは定かではないが、1810年代から20年代にかけて普及していったと考えられている。例えば、シャルル・ディドロ振付によるバレエ『フロールとゼフィール』(1796年初演)は、ワイヤーで吊るされたダンサーが空中を飛行するという演出を取り入れた作品であるが、本作が1815年にパリ・オペラ座で上演された際、フロール役の女性ダンサーがポワントで立ったのではないかと推測されている。また、1821年に描かれた『フロールとゼフィール』のリトグラフでは、フロール役のファニー・ビアスがポワントで立っている様が描かれている。ただし、この頃のポワント技法は、一部のダンサーが得意とする珍しい曲芸の類に過ぎなかった。 ポワント技法を単なる曲芸から芸術表現へと昇華させたのは、振付家のフィリッポ・タリオーニと、その娘でダンサーのマリー・タリオーニである。ポワント技法の可能性に着目したフィリッポは、その技術を娘のマリーに厳しく教え込んだ。マリーは1827年からパリ・オペラ座の舞台に立つようになったが、その名声を確固たるものにしたのが、フィリッポが振り付けたバレエ『ラ・シルフィード』(1832年初演)であった。マリーは本作で空気の精シルフィードを演じたが、ポワント技法を用いたその踊りは、まるで本当に宙を漂っているかのような印象を観客に与えたという。当時のヨーロッパは、異国や超自然的存在への憧憬を特徴とするロマン主義の影響下にあった。『ラ・シルフィード』は、妖精という非人間的な存在をポワント技法によって表現し、ロマン主義的な主題を描き出すことに成功したのである。 マリー・タリオーニの踊りは女性ダンサーにとっての新たな規範となり、ポワント技法も女性ダンサーの必須技術として広まっていった。ただし、当時のトウシューズは、現在のバレエシューズに似た柔らかいものであった。ダンサーたちは、シューズの先端を糸でかがって補強したり、爪先に綿や布を詰めたりといった工夫を凝らしていたと推測されるが、この頃はまだポワントで長時間静止することはできず、披露できる技の種類も限られていた。
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