19世紀以後
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1815年、ウィーン議定書に基づきオーストリア帝国領(ロンバルド=ヴェネト王国の一部)となることが確認された。 第二次イタリア独立戦争中の1859年、この都市はサルデーニャ王国に従ったジュゼッペ・ガリバルディによって解放された。チューリッヒ条約により、サルデーニャ王国をロンバルディアが領有することが確認され、ベルガモ県が置かれた。1860年にガリバルディが義勇軍「千人隊」 (it:I Mille) を集めた際、この街からはフランチェスコ・ヌッロ (Francesco Nullo) など63人が参加した。ベルガモは最も多くの千人隊兵士を輩出した都市であり、イタリア統一運動(リソルジメント)に果たした功績によって「千人隊の町」(Città dei Mille)とも呼ばれる。 1861年にイタリア統一が成り、イタリア王国が成立すると、ベルガモはその一部となった。 20世紀、ベルガモはイタリアの主要工業都市の一つとなった。ベルガモは、第二次世界大戦で大きな戦災を被らなかった数少ない大都市のひとつである。 2020年の新型コロナウイルス感染症の流行では、イタリアでは感染者数・死者数が一時世界でワーストになるほど大きな被害を出したが、その中でも特に深刻な被害を出したベルガモでは人口の数パーセントが死亡した。
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19世紀以後
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「ベニンゲン・アム・ネッカー」の記事における「19世紀以後」の解説
この町は、1879年にムルタール鉄道によって鉄道網に接続し、1881年にルートヴィヒスブルクへの支線も開業した。鉄道に接続したことでこの集落は労働者の町となり、経済的発展がなされた。 1964年8月10日に町名に「アム・ネッカー」が付与された。1970年代の市町村再編の際、ベニンゲンは独立を保ったが、マールバッハ・アム・ネッカー自治体行政連合に属した。交通の便が良い立地であることからベニンゲンは人気の住宅地に発展した。1970年から1994年までの間に人口は約 34 % 増加した。 2006年12月18日、公民館として利用されていた「アルテ・ケルター」(旧ブドウ搾り所)の小屋組みが火災に遭った。この歴史的建造物は70万ユーロの損害を負った。
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