19世紀以降のカンタータ
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「カンタータ」の記事における「19世紀以降のカンタータ」の解説
19世紀には、17 – 18世紀のカンタータとはほとんど関連をもたない多種多様な声楽作品としてカンタータが作曲された。独唱用のカンタータには、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732年 - 1809年)、ルイ・エクトル・ベルリオーズ(1803年 - 1869年)等による作品があるが、多くの場合、独唱声部を含む合唱と管弦楽のための作品に対してカンタータという名称が用いられるようになる。とくに、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年 - 1827年)が1814年のウィーン会議の際に作曲した『栄光の瞬間(Der glorreiche Augenblick)』のように、記念式典や特別な行事においては大規模なカンタータが好んで作曲された。このため、カンタータとオラトリオ、オードとの間には、曲種としての相違がほとんどなくなり、カンタータはオラトリオより一般に演奏時間が短いといった傾向が認められるに過ぎなくなる。 一方、カンタータは、パリ音楽院が授与するローマ賞の課題形式であったため、フランスのアカデミーにおいて特別の位置を占めた。ローマ賞の受賞作品となった代表的なカンタータとしては、クロード・ドビュッシー(1862年 - 1918年)が1884年に作曲した『放蕩息子(L'enfant prodigue)』がある。 20世紀に入っても、前世紀からの傾向は続いており、主に合唱と管弦楽のための作品といった共通項を除いては、音楽・歌詞の両面において多様なカンタータが作曲されている。
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