19世紀公共建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 19:22 UTC 版)
「アメリカ合衆国の建築」の記事における「19世紀公共建築」の解説
1776年、大陸会議の代議員が13植民地の独立を宣言した。1783年のパリ条約で新しい共和国、アメリカ合衆国の存在を認知した。政治的にイギリスと袂を分かったとしても、世界のこの部分において建設される建物にはイギリスの影響が残り続けた。人口が拡大し領土が拡がるのと平行して公共、福祉および商業の統制も成長した。新しい連邦政府や司法府の建物は古代ローマやギリシアを参照して古典的要素(柱、ドームおよびペディメント(3角形の切り妻))を採用した。建築に関する出版物が増えた。1797年、アシャー・ベンジャミンは『国内建設者の助けとなるもの』を出版した。アメリカ人はあらゆる領域、すなわち政治、経済だけでなく文化でもその独立を確認することを求め、それが大学や博物館の設立となった。この独立と活力が最大限に発露されたのが19世紀末であり、アルバート・リーバイの『建築物写真シリーズ』のような建築写真集として発行された。
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