『習慣論』
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「フェリックス・ラヴェッソン」の記事における「『習慣論』」の解説
1838年には『習慣論(De l'habitude)』によって博士号を得た。この学位論文は現代では哲学の古典の地位に置かれている(この形而上学的な「詩」は、獲得された習慣とは実存が見せる独特な顕現であると捉え、その本性を直観的方法で分析することを通じて理解しようとする仕事で、ベルクソンやハイデガーに賞賛された)。その後、レンヌ大学で哲学教授に就任。1840年からは公立図書館総監察官に任命され、1860年には高等教育総視学監となる。道徳・政治学アカデミーのメンバーでもあり、1870年からはルーヴル美術館の古代美術部門の学芸員を務めた。ラヴェッソンはパリで没した。 哲学において、ラヴェッソンはヴィクトル・クザンのエクレクティスム(スピリチュアリスム)学派に身をおいていたが、クザンとは多くの重要な論点において対立した。ラヴェッソンによれば、意識の働きがあらゆる知識の基盤となる。意識の働きは意志の顕現であり、知的生活を動機づけ、それを創造する力である。神の観念とは、自然と人間に見られる調和を反映した精神がもつ様々な能力のすべてによって与えられた累積的な直観である。この考えは19世紀以後、幾年にもわたってフランスのスピリチュアリスム哲学その他に影響を及ぼし続けた。 ラヴェッソンの哲学的な主著は次の通り。「ハミルトン氏の『哲学断片』(Les Fragments philosophiques de Hamilton)」(『Revue des Deux Mondes』1840年11月号に掲載)、『ストア派についての報告(Rapport sur le stoicisme)』(1851年)、『19世紀フランス哲学に関する報告(La Philosophie en France au dix-neuvième siècle)』(1868年、第三版1889年、日本語訳書2017年)、『道徳と形而上学(Morale et métaphysique)』(1893年)。ラヴェッソンは哲学者として才能を発揮しただけでなく、考古学者としての業績もあり、古代彫刻についての論文を『Revue Archéologique』や『Mémoires de l'Académie des Inscriptions』に発表している。1871年にはミロのヴィーナスについてのモノグラフを出版した。 『L'Année philosophique』(パリ、1868年)掲載の「シャルル・ベルナール・ルヌーヴィエ(Charles Bernard Renouvier)」およびドリアック(Dauriac)の「Ravaisson philosophe et critique」(『La Critique philosophique』1885年、第2巻)も参照のこと。
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