考古学者としての業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/30 05:25 UTC 版)
「ハレット・チャンベル」の記事における「考古学者としての業績」の解説
第二次世界大戦後、チャンベルはドイツの考古学者でイスタンブル大学の考古学教授であったヘルムート・テーオドール・ボッセルト (1889-1961) について学びはじめた。1947年、ボッセルトとチャンベルはカラテペの発掘を開始した。カラテペはトルコ南部のトロス山脈に位置する紀元前12世紀のヒッタイト王アザティワダの城壁都市だった。カラテペでフェニキア語とアナトリア象形文字の2言語碑文が発見されると、チャンベルはその助けによってアナトリア象形文字の解読のための主要な役割を果たした。 チャンベルはまたトルコの文化遺産の保存のために積極的に活動した。1950年代に政府がカラテペの遺物を博物館に移転しようとする動きにチャンベルは反対した。政府は合意し、その結果1960年にカラテペ・アスランタシュ屋外博物館が設立され、建物の一部を夫のナイル・チャクルハンが設計した。ジェイハン川(英語版)にダムを建設する動きにも、多数の考古学遺跡を水没させるとして反対した。遺跡を守るために、チャンベルは計画されたダムの水位を下げさせることに成功した。 2004年、チャンベルはオランダのプリンス・クラウス賞(英語版)を受賞した。賞の審査員は、彼女の功績を「危機に瀕した遺跡を救うための発掘を主導し、石の復元を導入し、トルコの重要な文化遺産を適切な保存を確保したこと」、イスタンブル大学の先史考古学の講座を設立したこと、および「彼女の献身的な学問と、人々と文化遺産の交流の可能性を拡張する上で果たした彼女の独特の役割」に言及している。
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