考古学者時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 14:18 UTC 版)
それから20年間、オンム・セティは発掘と記録の作業に明け暮れた。製図の腕は確かであり、編集助手としても優秀だったオンム・セティは当時のエジプト学に大きな貢献をした。エジプト学者であるウィリアム・ケリー・シンプソンは「ある人たちはエジプト語を完璧に知っているが、エジプト美術は知らない。別の人達はエジプト美術は知っていても、言葉が解らない。しかしドロシー・イーディーは両方を知っていた」と褒め称えた。 1952年、とうとう念願の(幼い頃に夢で見た故郷の地である)アビュドスに落ち着いた彼女は、セティ1世の神殿の遺跡に向かうと、香を焚き一晩中過ごす日々を送った。彼女がエジプトにいながら20年間もアビュドスの地に来なかったのは、何かが自分を妨げていたからだと述べている。水道も電気もなく、イスラム教圏であり英語を話せる人もいなかった当時のアビュドスは、外国人女性が一人で暮らしていくのは相当苦しい環境であったが、オンム・セティのたび重なる懇願により、エジプト考古局はしぶしぶ彼女にアブドゥスでの仕事を与えた。その後、オンム・セティは残りの人生の殆どをアブドゥスで過ごした。 神殿で礼拝し、公然と古代エジプトの神を崇める外国人女性オンム・セティの存在は村人や訪問者を驚かせた。ちょっと奇妙ではあるが誠実な研究者として村人に温かく受け入れるようになったオンム・セティは訪問客のガイドとしても有名な存在になり始めた。オンム・セティは動物との不思議な共感能力を示し、蛇やコブラなどを手なずけた。オンム・セティは自分の信念の内容についても公言していたが、彼女を嘘つき呼ばわりする者は皆無だった。 アビュドスで神殿の壁面のレリーフを記録する仕事に就いてまもなく、オンム・セティはセティ1世の神殿の庭の位置を言い当てることになった。(その庭は、彼女が幼少の時から夢に出て来た庭だった。)発掘作業員がオンム・セティの指示に従い神殿周囲を発掘してみると、切り株が多数見つかった。それは、かつてその場所に庭があったことを物語るものであった。 その後もオンム・セティは神殿の北側で地中に走るトンネルがあると断言し、実際にこれを発見した。現場の作業監督官は「(オンム・セティは)自分の歩く地面について不思議な第六感を持っているようだった」と語った。この一連の事件はエジプト学の研究者ハニー・エル・ゼイニにより確認されている。エル・ゼイニはオンム・セティの公言する前世の事については懐疑心を抱いていたが、この一件以来二度と疑いを抱かなかった。 またオンム・セティによると、この神殿の地下には秘密の文書庫があり、貴重な文書がたくさん詰まっている。もしこれが発見されたらツタンカーメンの墓の発見も霞むほどの大ニュースになるだろうとされている。しかし、この探検に乗り出した者はいない。 オンム・セティは1981年に77歳で死去した。
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