哲学上の履歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 05:08 UTC 版)
1798年 懸賞課題(フランス学士院)「観念の形成に及ぼす記号の影響」応募草稿未完 1799年 同 「習慣が思惟機能に及ぼす影響を決定せよ」論文応募 1801年 同 「 (同一課題) 」 応募、受賞 (『習慣論』として出版) 1802年 同 「思惟機能はいかに分解されるべきか」 執筆中、妻の急死に遭い未完。 1805年 同 「 (同一課題) 」 応募、受賞。(『思惟の分析』) 1807年 懸賞論文(ベルリン・アカデミー) 応募、次席受賞(『直接的統覚について』) 1811年 〃 (コペンハーゲン王立アカデミー) 応募、受賞(『人間の身体と精神の関係』) 以後、これまでの自分の考えの総合として後生『心理学の諸基礎についての試論』と呼ばれるようになる原稿の執筆に取り組むも未完に終わる。(1805年『思惟の分析』から『心理学の諸基礎についての試論』までの時期の思想を"ビラニスム"という。 ビラニスム時代の原稿は生前には出版されていない。) 1812年 立法院議員としてパリに出てきたビランは、自宅で哲学のサークルを始める。 後期のビランはビラニスム期にはなかった宗教的な傾向を深め、『人間学新論』で宗教的生も含めた総合的な人間学を目ざしたが未完に終わり、結局生前にビランの著作はほとんど出版されなかった。
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