哲学上の主な業績
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「ポール・ベナセラフ」の記事における「哲学上の主な業績」の解説
卒業論文はベルクソンに関するものだったが、博士論文 [1] で論理主義を取り上げて以降は、一貫して数学の哲学に関する研究を続けている。著作を発表するにあたって極めて慎重な姿勢をとるため、発表された論文数自体は非常に少ないが、とりわけ1965年と1973年に発表された2本の論文は今なお絶大な影響力をふるっている。また、数学の哲学における標準的なリーディングス [3] の編者の一人としても知られる。 1965年の論文「数は何ではありえないか」[4] では、「数とは対象である」というフレーゲのテーゼに挑戦し、「抽象的構造の探求としての数学」という観方を復権させた。また、1973年の論文「数学的真理」[6] は、認識論における知識の因果説と意味論におけるタルスキ型意味論とが、数学の領域においては両立しないこと(いわゆる「ベナセラフのジレンマ」)を説得的に示した。この論文が発表されて以後、数学の哲学においては、認識論と真理に関する説明とをいかにして統合するかが中心的問題として論じられるようになった。「ベナセラフのジレンマ」は数学の哲学のみならず他の分野にもインパクトをおよぼしており、例えばクリストファー・ピーコックは、このような認識論と真理に関する説明との統合を、自己知や自由意志の領域において試みている。 この他には、超仕事 (super-task) に関する透徹した議論を展開した [2] や、「不完全性定理に基づいて機械に対する人間の優位が論証できる」とするルーカスの議論を徹底的に粉砕した [5]、フレーゲの論理主義について斬新な解釈を提示した [7] 等が有名である。
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