『義経記』による記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 11:08 UTC 版)
『義経記』では義経は子供の頃、鞍馬寺で別当東光坊の阿闍梨から守刀として今剣を授けられ平家討伐の折にも鎧の下に持ち、最期はこれで自害した。義経はまた(剣の巻の膝丸と同じく)熊野別当より受け取った二尺七寸の黄金造りの太刀(こがねつくりのたち)も持っており、これは兄の頼朝に追われる途中の吉野の山中で一人残る佐藤忠信に餞けに贈られた。忠信は追っ手の軍勢と奮戦するが最期は切腹した後にこの義経より賜った太刀で喉を貫いて自害した。義経は牛若時代に貴船で修行する時や五条で弁慶に出会った時も黄金造りの太刀を帯びており、千本目の太刀として求める弁慶に「是は重代の太刀にて叶うまじ」と断る場面もあるが、これらが全て同一の太刀の設定かははっきりしない。(忠信に太刀を与えた後にも義経が黄金造りの太刀を帯びている描写がある)
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