南米諸国による漁業独占権宣言とそれに対する欧米諸国の抗議とは? わかりやすく解説

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南米諸国による漁業独占権宣言とそれに対する欧米諸国の抗議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 14:07 UTC 版)

李承晩ライン」の記事における「南米諸国による漁業独占権宣言とそれに対する欧米諸国の抗議」の解説

トルーマン宣言触発されアルゼンチン1946年)、パナマ1946年)、チリ1947年)、ペルー1947年)、コスタリカ1948年)、エルサルバドル1950年)、ホンジュラス1951年)、チリ・ペルー・エクアドル(1952年)が漁業資源に関する宣言行ったが、トルーマン宣言異なり自国民による排他的な漁業独占一方的に設定するものであったアルゼンチン、チリペルーホンジュラス等は自国宣言正当化するためにアメリカトルーマン宣言援用したが、アメリカはこれら宣言に対して抗議行っている。1948年7月2日アルゼンチン対す抗議文では「アルゼンチン宣言含まれている原則は、アメリカ合衆国宣言極めて異なっており、国際法一般に認められ原則違反しているように思われる」とし、他国への抗議も同様であったハーマン・フレガー国務省法律顧問1955年ニューヨークで講演で、トルーマン宣言漁業独占主張しているとするのは「誤解」としている。しかし、アメリカ抗議にも関わらず1954年ペルーパナマ船籍船を拿捕しエクアドル1955年アメリカ漁船発砲拿捕している。 イギリスは3海里越え水域排他的管轄権認めない1948年チリペルー抗議行っており、1952年にもチリエクアドルペルー共同宣言にもアメリカ共同抗議している。フランスは、1951年覚書においてメキシコペルー等の国名挙げたあとに、一方的宣言により公海主権拡張し他の国々権利おかしてならないとした。

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