南米復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/20 05:24 UTC 版)
2011年1月に約6年ぶりに母国へ帰国したレンテリアは、マニサレスへと渡りオンセ・カルダスと契約すると、2月27日に初出場となったレアル・カルタヘナ戦 (3-2) で2得点を挙げる。それ以降は14試合10得点と定期的に得点を重ねていった。オンセ・カルダスで活躍を見せている中、6月に突如として再度チームと国を変えメキシコ1部のクルス・アスルと3年契約を締結するも、到着後のメディカルチェックで失敗したために契約は取り消された。同移籍破談後は、ブラジルへ渡るとSERカシアス・ド・スルと契約し、2011年6月から2012年6月までの期限でサントスFCへ貸し出された。サントスではボルジェスとネイマールの存在のために僅かな出場機会と得点にとどまり、契約満了に伴い退団した。 サントス退団後は、2012年7月13日にミジョナリオスFCとの仮契約を経て、7月23日に正式に1年契約を締結した。同年のコパ・スダメリカーナに参加したレンテリアは、ブラジル時代の鬱憤を晴らすようにSEパルメイラスやグレミオFBPAといったブラジルの名門相手に得点を挙げる活躍を見せ、最終的にチームはベスト4に終わり優勝に導くことは出来なかったものの、他4名の選手と共に5得点で得点王に輝いた。また、10月24日に同大会のパルメイラス戦でのペナルティーキックはクラブ史上5000番目の得点だった。
※この「南米復帰」の解説は、「ワソン・レンテリア」の解説の一部です。
「南米復帰」を含む「ワソン・レンテリア」の記事については、「ワソン・レンテリア」の概要を参照ください。
- 南米復帰のページへのリンク