南米勤務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 14:18 UTC 版)
1899年(明治32年)3月13日ブラジル駐箚弁理公使兼総領事としてリオデジャネイロに派遣され、7月4日ペトロポリスに着任、1902年(明治35年)4月30日アルゼンチン駐箚を兼任した。 当時政府はブラジル移民の可能性を模索しており、成徳も調査を行ったが、コーヒー価格の暴落による恐慌を目の当たりにし、反対の報告を行った。ブラジルでは日本拉丁協会を設立するなど広い交友関係を築き、妻(Carmen Aguirre、スペイン・イギリス混血)によれば、南米駐在中が生涯で最も幸福だったという。 1903年(明治36年)12月11日任を解かれ、1904年(明治37年)11月日露戦争の外債募集のため、末松謙澄に従いロンドンに渡った。 晩年麻布区広尾町75番地に隠居したが、健康を害し、1923年(大正12年)7月2日午前10時死去した。
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