アメリカ合衆国国務省法律顧問
アメリカ合衆国国務省において、法律顧問(ほうりつこもん、Legal Adviser of the Department of State)は、国務省の業務について法的な観点から助言を行い、合衆国の対外政策の実施、国際法の発展に対する協力、および国務省内の各部署への支援を行う役職である。国務次官補と同等の地位にあり、国務省内で独立した役職である。
国務省において、法律顧問の役職は、1931年2月23日の議会法 (P.L. 71-715; 46 Stat. 1214) によって創設された。法律顧問の役職が創設される以前の1871年から1931年まで、国務省における法的な観点での助言は、司法省法務官が国務省法務官を兼任して行っていた。
歴代法律顧問
備考
外部リンク
- United States Department of State - Legal Advisers - アメリカ合衆国国務省のウェブページ
国務省法律顧問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:20 UTC 版)
「グリーン・ハックワース」の記事における「国務省法律顧問」の解説
1931年7月、国務省法律顧問に任ぜられ、1946年3月までの15年間法律顧問を務めた。この在任期間は国務省において最長である。この間の国務長官は、チャールズ・エバンス・ヒューズ、フランク・ケロッグ、ヘンリー・スティムソン、コーデル・ハル、エドワード・ステティニアスの5人である。 ハックワースは、条約条項の分野における熟練した法律草稿家として知られており、アメリカの中立時代から第二次世界大戦参戦まで、外交関係に関わる問題に力を発揮した。大統領、国務長官、連邦議会議員、国務省内の他の部署に助言を提供した。境界水域条約(英語版)に基づいてアメリカ・カナダ間で設置された国際共同委員会において、アメリカ政府の代表として活動した。1930年、国際連盟の後援でハーグで開催された第1回国際連盟国際法典編纂会議にアメリカ米国代表として参加した。また、リマで開催された第8回パン=アメリカ会議(1939年)、第8回米州科学会議(1940年)、米州海洋会議(1941年)に参加した。ヨーロッパでの戦争が勃発した後、ハバナで開催された第2回米州外相会議(1941年)ではハル国務長官の顧問を務めた。
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