国務省入省まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 23:16 UTC 版)
「アレン・ウェルシュ・ダレス」の記事における「国務省入省まで」の解説
1893年4月7日にニューヨーク州ウォータータウンに誕生する。父は長老派教会の牧師であり、ダレス家は長老派の聖職者を多く出す家柄であった。一方母方の祖父は国務長官を務めたジョン・ワトソン・フォスターで、この二つの家系がジョンとアレンの兄弟の将来に期待される役割をもたらしてもいた。ジョンに対しては外交官となることが望まれたのに対し、アレンは聖職者となることを嘱望されたのである。 アレンは早熟な子供で、8歳の時にイギリスが南アフリカにボーア戦争を仕掛けたことを批判するパンフレットを書いた。ハイスクールを卒業した1908年には、ジョンの留学に付き添う形でフランスに渡り、エコール・アルザシエンヌで勉学する傍ら、プリンストン大学に合格し、1909年に帰国して入学する。 1914年にプリンストン大学を卒業すると、アレンはインドで英語教員となるべくアラハバードに渡った。しかし、アレンは仕事に満足することができず、翌1915年に帰国する。アレンは外交官になることを志望し、1916年に国務省に入省した。この背景には、叔父(母方の叔母の夫)であるロバート・ランシングが1915年に国務長官に就任したことも影響していた。この決定は、聖職者になることを望んでいた父には失望を与えることになった。
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