聖職者となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/15 05:20 UTC 版)
「クレメンス7世 (対立教皇)」の記事における「聖職者となる」の解説
1342年、アヌシーで生まれ、ロベールと名づけられた。父はジュネーヴ伯アメデウ3世(1311年頃 - 1367年)、母はオーヴェルニュ伯兼ブローニュ伯ロベール7世(1282年頃 - 1325年)の娘マオ(Mahaut, 生没年不詳)。兄が4人、姉妹が7人いる。母方の従姉であるオーヴェルニュ女伯兼ブローニュ女伯ジャンヌが、1349年にフランス王ジャン2世の後妻になったため、フランス王家と親しい間柄となった。 聖職者の道に進んだロベールは、パリの司教区参事会員となった後、1359年に当時アヴィニョンにあった教皇庁の書記官になる。その後、1361年にテルアンヌ司教、1368年にカンブレー大司教に昇格し、1371年5月30日にはグレゴリウス11世によって枢機卿に任命された。
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