聖職叙任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/18 09:30 UTC 版)
「ジョン・スミス (バプテスト牧師)」の記事における「聖職叙任」の解説
スミスは、ケンブリッジ大学を卒業後、助手として神学や哲学を教える傍ら、1594年に聖公会の母体であるイングランド国教会の司祭に叙任(叙階)された。彼は1600年から1602年ごろにかけて、リンカンで宣教活動を行っている。しかし彼はやがて分離派の影響を受けるようになり、イングランド国教会を批判し始めたために辞任に追い込まれることとなった。 辞任の数年後、スミスは1606年ごろから非合法の分離派教会の牧師となったが、イングランド国内での分離派への弾圧が激しさを増してくると、1608年、スミスとその支持者たちは信仰の自由を求めてオランダのアムステルダムに渡った。彼らはアムステルダムにおいて、メノナイト・ウォーターランド派教会の信徒ヤン・ムンターのサポートを受け、聖書に基づく信仰生活を始めた。そしてスミスは間もなくして、聖書の記述をもとに幼児洗礼が聖書の教えに反するものであるという確信に至り、彼は支持者たちにその考えを伝えると、分離派教会としてのスミスの教会を一度解散することにした。 またスミスたちは、ちょうどこの頃オランダで盛んに行われていた、ヤーコブス・アルミニウスとフランシス・ゴマールとの論争に接したとされ、スミスたちがアルミニウス主義やレモンストラント派の思想に近づくきっかけとなったと考えられている。そしてこのきっかけが、後に発生するジェネラル・バプテストの神学的立ち位置を決めることとなった。
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