ジャルジェ家とは? わかりやすく解説

ジャルジェ家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:12 UTC 版)

ベルサイユのばら」の記事における「ジャルジェ家」の解説

レニエ・ド・ジャルジェfrオスカルの父。ジャルジェ伯爵家当主で、フランス王家に忠誠捧げる将軍後継となる男児欲していたが、女児最期まで続いて男の子のように元気の良い泣き声末娘オスカル後継として厳しく育てる。しかし、後年はその選択父親として後悔していた。革命激化によりオスカルの身を案じて結婚させよう考えていた矢先ジェローデル求婚喜び広く花婿募集した。しかし、結局は断念オスカル革命側に付いたのに対し、娘と共に革命側について戦ったアラン国内留まるのは危険だ忠告されても最後まで王室忠誠尽くしたオスカル民衆と共に歩むことを選んだように、王室対す忠誠を貫くことが自身選んだ道だと告げた議場からの平民議員排除命じられジェローデル近衛連隊阻止という反逆行為犯したオスカル成敗しようとした際、他の貴族全員平民与してもジャルジェ家は王室不滅忠誠を尽くすのだと告げた筋金入り王党派である。物語終盤国王一家面会する為にティルリー宮へ忍び込もうとするフェルゼン無謀を「殺されに行くようなものだ!」と諌めるフェルゼン覚悟知り、またフェルゼン亡くなった娘のオスカルを「生涯最高の友人と言ってくれたことに感激して協力者となる。フェルゼンと共にアントワネットコンシェルジュリー牢獄から脱出逃亡させようとするもマリー・テレーズルイ・シャルル置いて自分自身だけが逃げれば母親として地獄苦しみ味わい幸福にはなれない拒否され逆に国外脱出するよう命じられた。青年時代ルイ15世密使として訪れたロレーヌ公国灼熱の恋を経てジョルジェット娶った意外に激情家であり、当初は貧乏貴族の娘なぞをと許さなかった主君ルイ15世背いてジョルジェット求めたほどだった。その激しさ末娘受け継がれてしまう。 男児恵まれずオスカル息子として育てるが、我が子危険に晒したくないという親心はあり、大きな戦いもなく安泰世の中宮廷中が恋愛明け暮れる近衛隊、アントワネット付きならば安全だろう考えてのことだった。 身分ゆえにアンドレオスカル愛していることを知った時は貴族婚姻国王許可必要だ激怒するが、内心アンドレ息子のように大切に思っている。オスカル士官学校入れた時も、近衛隊に入隊させた時も、オスカル勝手にフランス衛兵隊移った時も断じて末娘単独行動させることはなアンドレ護衛命じていた。オスカル深く愛しているが、アンドレのことも息子のように慈しんでおり、ばあやの存在が重いがゆえにアンドレ死ねば生きてはいないばあやのことを計算入れてオスカルの命を救おうとしたアンドレ知能犯ぶりに呆れていた。 モデルは、王党派の軍人「フランソワ・オーギュスタン・オーギュスト・レーニエ・シュバリエ・ド・ジャルジェ(フランス語では正確に発音すると「ジャルジャイュ」)」である。マリー=アンヌ・ルイーズ・ブルセ・ド・ラ・セーニュ(Marie-Anne Louise Bourcet de la Saigne)と結婚して2人の子儲けるが、妻は1786年病死。その翌年カンパン夫人同じくアントワネット部屋付き第一侍女務め未亡人ルイーズ・ド・ラボルド(Louise Marguerite Émilie Henriette Quetpée de Laborde)と再婚した史実では、コンシェルジュリー牢獄救出作戦告げアントワネット面会したのは別人だった。オスカルの父と同様に王室忠誠誓い尽くしたジャルジェ伯夫人 オスカルの母。物静か心優しい貴婦人ファーストネームは「ジョルジェット」であり、ロレーヌ公国の貧乏ながらルイ13世宮廷画家務めたジョルジュ・ド・ラ・トゥール曾孫であることが明かされる旧姓不明アントワネット首席侍女になったことでデュ・バリー夫人怒りを買い罠に嵌められるが、オスカル現れたことで難を逃れたフランス衛兵隊部下と共に革命側に走った末娘オスカル戦死したため、その悲しみから立ち直ることが出来ず亡くなった女性だと自覚しても父の意思に従って男性・軍人として生きるオスカルの心の拠り所であり、男性として生きろ命じながら結婚と言い出した父親反発するオスカルに嵐に飛び込もうとする愛娘温かな家庭持たせて女性としての幸福を与えたいとの親心説き後継男児恵まれずオスカル男性としての人生強いたことを夫が後悔していることを告げた。 ばあや オスカル乳母アンドレ母方祖母本名は「マロン・グラッセ・モンブラン」だが、オスカル肖像画描いた画家プロポーズしようとした際に呼んだ以外は呼ばれることの無かった。口やかまし心配性だが、心からオスカル愛している。主人であるジャルジェ将軍が、オスカルを男として育て方針真っ先反対した。そのため、ポリニャック伯夫人刺客襲われオスカル重傷負った際、ジャルジェ将軍睨みつけて非難する泣き出し慌てたジャルジェ将軍に酒でも飲もう宥められ台所に連れて行かれた。 ジェローデルオスカルプロポーズしてジャルジェ将軍乗り気だった結婚騒動の際、原作アニメ版では反応異なっており、原作では今更オスカルに齎された縁談嫌がりアニメ版では大切なお嬢様女性としての幸福が訪れた喜んでいた。また、ジェローデル迎えて晩餐会準備中オスカル殺して自殺しようとして仕事をさぼったアンドレ文句並べつつ「可哀想に馬鹿な子だよ。」と呟き孫がお嬢様恋心抱いていることを察しており、その直後アンドレ失明にも気づくフランス革命直前、病に倒れたオスカルアンドレ造反戦死の報に沈むジャルジェ家に画家の先生後述)がプロポーズしよう訪れるが、既に息を引き取っていた。画家愛していたか否かは特に描写無かったオスカルに何かあれば本人自業自得でもアンドレヤキ入れるが、唯一残され肉親である孫息子深く愛しており、アンドレ死ねば生きてはいない。オスカル謀反人としてジャルジェ将軍成敗されかけた際にアンドレが彼女の代わりに自分自身殺して欲しいとオスカル命乞いをするが、アンドレ殺せば祖母生きてはいない程に愛していることを熟知してこその捨て身作戦だと察していたジャルジェ将軍苦笑した事実アンドレオスカル相次いで戦死した直後画家プロポーズ訪れた際、既に息絶えて眠るように横たわっていた。アニメでは、画家との喧嘩恋愛模様無かったことに変更された。 コミックス第11巻収録されエピソード1ではオスカルアンドレ戦死後アンドレ貰ったリボンを元の持ち主幼馴染クリスティーヌ返し行った本編オスカル戦死直後亡くなったとしか映らない描写だったが、実は病死するまでに数日の間があったという設定だった。しかし、非常にわかりにくかったため、読者混乱招いたラソンヌ先生fr) ジャルジェ家の主治医アニメ版オリジナル・キャラ代々医師してジャルジェ家の世話になっている世襲医。「医師」という役名第8話では落馬したオスカルの、第18話ではポリニャック一味襲撃されオスカル診療にあたっている。個人名初出ではアンドレ眼の治療オスカルの胸の病の診療にあたる。オスカル3歳時に熱を出した検診与ったオスカル診察時に回顧しており、それが真実余命)を彼女に宣告するきっかけとなった失明するのは時間の問題ということアンドレ隠していたが、口止めはしていなかったのでオスカル知られてしまう。

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