ジャルジェ家
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レニエ・ド・ジャルジェ(fr) オスカルの父。ジャルジェ伯爵家当主で、フランス王家に忠誠を捧げる将軍。後継となる男児を欲していたが、女児が最期まで続いて男の子のように元気の良い泣き声に末娘オスカルを後継として厳しく育てる。しかし、後年はその選択を父親として後悔していた。革命の激化によりオスカルの身を案じて結婚させようと考えていた矢先、ジェローデルの求婚を喜び広く花婿を募集した。しかし、結局は断念。オスカルが革命側に付いたのに対し、娘と共に革命側について戦ったアランに国内に留まるのは危険だと忠告されても最後まで王室に忠誠を尽くした。オスカルが民衆と共に歩むことを選んだように、王室に対する忠誠を貫くことが自身の選んだ道だと告げた。議場からの平民議員の排除を命じられたジェローデルら近衛連隊を阻止という反逆行為を犯したオスカルを成敗しようとした際、他の貴族が全員平民に与してもジャルジェ家は王室に不滅の忠誠を尽くすのだと告げた筋金入りの王党派である。物語終盤、国王一家に面会する為にティルリー宮へ忍び込もうとするフェルゼンの無謀を「殺されに行くようなものだ!」と諌めるもフェルゼンの覚悟を知り、またフェルゼンが亡くなった娘のオスカルを「生涯最高の友人」と言ってくれたことに感激して協力者となる。フェルゼンと共にアントワネットをコンシェルジュリー牢獄から脱出・逃亡させようとするもマリー・テレーズとルイ・シャルルを置いて自分自身だけが逃げれば母親として地獄の苦しみを味わい幸福にはなれないと拒否され、逆に国外に脱出するよう命じられた。青年時代、ルイ15世の密使として訪れたロレーヌ公国で灼熱の恋を経て妻ジョルジェットを娶った。意外にも激情家であり、当初は貧乏貴族の娘なぞをと許さなかった主君ルイ15世に背いてもジョルジェットを求めたほどだった。その激しさは末娘に受け継がれてしまう。 男児に恵まれずにオスカルを息子として育てるが、我が子を危険に晒したくないという親心はあり、大きな戦いもなく安泰な世の中で宮廷中が恋愛に明け暮れる近衛隊、アントワネット付きならば安全だろうと考えてのことだった。 身分ゆえにアンドレがオスカルを愛していることを知った時は貴族の婚姻は国王の許可が必要だと激怒するが、内心、アンドレを息子のように大切に思っている。オスカルを士官学校に入れた時も、近衛隊に入隊させた時も、オスカルが勝手にフランス衛兵隊に移った時も断じて末娘を単独で行動させることはなくアンドレに護衛を命じていた。オスカルを深く愛しているが、アンドレのことも息子のように慈しんでおり、ばあやの存在が重いがゆえにアンドレが死ねば生きてはいないばあやのことを計算に入れてのオスカルの命を救おうとしたアンドレの知能犯ぶりに呆れていた。 モデルは、王党派の軍人「フランソワ・オーギュスタン・オーギュスト・レーニエ・シュバリエ・ド・ジャルジェ(フランス語では正確に発音すると「ジャルジャイュ」)」である。マリー=アンヌ・ルイーズ・ブルセ・ド・ラ・セーニュ(Marie-Anne Louise Bourcet de la Saigne)と結婚して2人の子を儲けるが、妻は1786年に病死。その翌年、カンパン夫人と同じくアントワネットの部屋付き第一侍女を務める未亡人ルイーズ・ド・ラボルド(Louise Marguerite Émilie Henriette Quetpée de Laborde)と再婚した。史実では、コンシェルジュリー牢獄に救出作戦を告げにアントワネットに面会したのは別人だった。オスカルの父と同様に、王室に忠誠を誓い尽くした。 ジャルジェ伯夫人 オスカルの母。物静かで心優しい貴婦人。ファーストネームは「ジョルジェット」であり、ロレーヌ公国の貧乏ながらルイ13世の宮廷画家を務めたジョルジュ・ド・ラ・トゥールの曾孫であることが明かされるも旧姓は不明。 アントワネットの首席侍女になったことでデュ・バリー夫人の怒りを買い罠に嵌められるが、オスカルが現れたことで難を逃れた。フランス衛兵隊の部下と共に革命側に走った末娘オスカルが戦死したため、その悲しみから立ち直ることが出来ずに亡くなった。女性だと自覚しても父の意思に従って男性・軍人として生きるオスカルの心の拠り所であり、男性として生きろと命じながら結婚をと言い出した父親に反発するオスカルに嵐に飛び込もうとする愛娘を温かな家庭を持たせて女性としての幸福を与えたいとの親心を説き、後継の男児に恵まれずにオスカルに男性としての人生を強いたことを夫が後悔していることを告げた。 ばあや オスカルの乳母。アンドレの母方の祖母で本名は「マロン・グラッセ・モンブラン」だが、オスカルの肖像画を描いた画家がプロポーズしようとした際に呼んだ以外は呼ばれることの無かった。口やかましく心配性だが、心からオスカルを愛している。主人であるジャルジェ将軍が、オスカルを男として育てる方針に真っ先に反対した。そのため、ポリニャック伯夫人の刺客に襲われてオスカルが重傷を負った際、ジャルジェ将軍を睨みつけて非難するも泣き出し、慌てたジャルジェ将軍に酒でも飲もうと宥められ台所に連れて行かれた。 ジェローデルがオスカルにプロポーズしてジャルジェ将軍が乗り気だった結婚騒動の際、原作とアニメ版では反応が異なっており、原作では今更とオスカルに齎された縁談を嫌がり、アニメ版では大切なお嬢様に女性としての幸福が訪れたと喜んでいた。また、ジェローデルを迎えての晩餐会の準備中、オスカルを殺して自殺しようとして仕事をさぼったアンドレに文句を並べつつ「可哀想に、馬鹿な子だよ。」と呟き孫がお嬢様に恋心を抱いていることを察しており、その直後、アンドレの失明にも気づく。フランス革命直前、病に倒れた。オスカルとアンドレの造反と戦死の報に沈むジャルジェ家に画家の先生(後述)がプロポーズしようと訪れるが、既に息を引き取っていた。画家を愛していたか否かは特に描写は無かった。 オスカルに何かあれば本人の自業自得でもアンドレにヤキを入れるが、唯一残された肉親である孫息子を深く愛しており、アンドレが死ねば生きてはいない。オスカルが謀反人としてジャルジェ将軍に成敗されかけた際にアンドレが彼女の代わりに自分自身を殺して欲しいとオスカルの命乞いをするが、アンドレを殺せば祖母が生きてはいない程に愛していることを熟知してこその捨て身の作戦だと察していたジャルジェ将軍は苦笑した。事実、アンドレとオスカルが相次いで戦死した直後、画家がプロポーズに訪れた際、既に息絶えて眠るように横たわっていた。アニメでは、画家との喧嘩も恋愛模様も無かったことに変更された。 コミックス第11巻に収録されたエピソード1ではオスカルとアンドレの戦死後、アンドレが貰ったリボンを元の持ち主の幼馴染クリスティーヌに返しに行った。本編でオスカル戦死直後に亡くなったとしか映らない描写だったが、実は病死するまでに数日の間があったという設定だった。しかし、非常にわかりにくかったため、読者の混乱を招いた。 ラソンヌ先生(fr) ジャルジェ家の主治医。アニメ版のオリジナル・キャラ。代々医師してジャルジェ家の世話になっている世襲医。「医師」という役名で第8話では落馬したオスカルの、第18話ではポリニャック一味に襲撃されたオスカルの診療にあたっている。個人名初出ではアンドレの眼の治療やオスカルの胸の病の診療にあたる。オスカルが3歳の時に熱を出した時検診に与ったとオスカルの診察時に回顧しており、それが真実(余命)を彼女に宣告するきっかけとなった。失明するのは時間の問題だということをアンドレは隠していたが、口止めはしていなかったのでオスカルに知られてしまう。
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