オーウェンとダーウィン進化論とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > オーウェンとダーウィン進化論の意味・解説 

オーウェンとダーウィン進化論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 04:07 UTC 版)

リチャード・オーウェン」の記事における「オーウェンとダーウィン進化論」の解説

オーウェンダーウィン馴れ初めは、後に不倶戴天の敵となることが信じられないくらい非常に友好的な物だった。ビーグル号探検後少なからぬ量の標本コレクション自分の物としたチャールズ・ダーウィンは、1836年10月29日チャールズ・ライエル紹介によってオーウェンと引き会わされ、オーウェンダーウィン南米採集した化石骨の研究快く引き受けた。これ以降二人親し友人となったのであるオーウェンは、その巨大絶滅動物は同じ地域に住む現生種の齧歯類ナマケモノ類と近縁であり、ダーウィン当初考えてたようなアフリカ巨大動物親類などではない事を後に明らかにした。これは皮肉にも後にダーウィン自然選択説考えつくきっかけとなったオーウェンにしても生物古代から全く変化しなかったと考えていたわけではなかった。この頃オーウェンヨハネス・ペーター・ミュラー影響受けて生物は「生体エネルギー」という生命力持っており、それにより組織成長方向決定さらには種や個体寿命まで決定けられる、という理論について説いていた。1838年12月19日オーウェンとその取り巻きダーウィンのかつての指導教官ロバート・エドマンド・グラントのラマルク的「異端」について嘲笑浴びせていたとき、ロンドン地質協会事務員をしていたダーウィン自説について沈黙決め込んだのも無理はない。1841年結婚したばかりのダーウィン病気になったとき、オーウェン見舞い来てくれた数少ない科学界の友人一人だった。しかし、「変質」を匂わすいかなるに対して見せオーウェン反感は、ダーウィンをして自分理論秘密にさせ続けたダーウィン自分自然選択説一見持つように見え無目的さが、大いなる意志によって適切に配剤された変化というオーウェン信条相容れないことを理解していたのだ。 ダーウィンがまだ自分理論暖めている時期1849年フジツボ調査通じてダーウィンは彼らの体節如何に他の甲殻類対応しどのようにその親戚から分岐してきたかを示す事を発見したオーウェンにとってはそのような比較解剖学上の相同」は神の御心中にある「祖形」(archetype)を示す物であったが、ダーウィンにとっては祖先から引き継いだ系統証拠だった。オーウェンウマの進化段階証拠となる化石を、“神の定めし絶え間なき相応しい”やり方で祖形より発展してきたという自説支持する物として説明した。そして神の意志によって万物の霊長とされたヒト他の動物の間には決定的な差があると考え1854年英国科学振興協会での談話で、ゴリラその頃発見されたばかりだった)のようなじみた類人猿直立しヒト変質することは不可能だ語ったこのころ労働者階級好戦派はヒト先祖サルであると吹聴しており、このような考え打ち砕くために、オーウェン協会会長当選者として、霊長類の脳を見ればヒト種としてサルと別であるのみならず亜綱でも別であることがわかる、とする権威づくの解剖学的研究発表したダーウィンは「チンパンジーヒトとは全く異なるなど私には受け入れられないと書き残している。闘志盛んなトマス・ヘンリー・ハクスリーは、1858年3月王立研究所での講演で、ゴリラ構造的にヒヒに近いのと同じくらいにヒトにも近い、と主張した上で精神道徳機能本質的に動物と我々で同じだ」と自分信じていると付け加えた。これは同じ会場行われた人間特異性主張するオーウェン講演対す明らかな挑戦だった。 『種の起源』(1859)の出版によるダーウィンの理論公開に際して、彼はオーウェンに「ぞっとする内容かとは思いますが」との言葉と共に写し贈呈したオーウェン最初に反応した一人であり、自分長い間現在の影響”が“神の御心による”種の生成原因であると信じてきた、と礼儀正しく主張したダーウィンは彼と長時間語り合いオーウェンはこの本は「種の形成方法について今まで出版されたなかで」最良説明提供している、とまで言った。しかし彼はまだ変質ヒト同列化するかどうかについて非常に大きな疑い抱いていた。オーウェンは、ダーウィン全て設計され法則結果であると見ている、と確信させられたらしく、それを“創造力”の信仰ダーウィン共有している証拠だとオーウェン解釈していた。 科学界の頂点という崇高な地位にいたオーウェンはこの本に対す多く苦情受け取った議会委員会新し自然史博物館必要性強調している際に、彼が以下のように指摘した時には、彼自身のこの本に対す意見はまだ明らかでない。 「今年全ての知識層種の起源に関する一冊の本に興奮覚えた。そしてその結果は? 来館者が大英博物館押し寄せこう言うのだ、『ここにあるハト標本変異全て見せてくれ。タンブラーはどこだ?ポーターはどこにある?』と…。そして私は恥ずかしながらこう答えしかない、何もお見せできないのです… あなた方にそれらの種の変異をお見せようとしても、いやそれをいうなら種の起源という謎中の謎に人を導くいかなる現象をも、皆さんご覧入れられるだけの場所が無いのです、と。しかし、そのような場所はどこかに存在するべきであり、そして大英博物館にそれが無いとすれば、いったいどこにあるというのか?」 しかしながらハクスリー攻撃功を奏していた。1860年4月に「種の起源」に対するエディンバラ・レビュー上でオーウェンによる書評なされた頃には、オーウェンははっきりとダーウィンの進化論対す異議憎悪旗幟鮮明にしていた。この書評オーウェンは、ダーウィン創造論者の立場風刺していると受け取りオーウェンの「生きとし生ける者への神の定めし所による適切で絶え間ない作業原則」をダーウィン無視しているとして怒り表明した彼にとっては、新しい種は誕生させられるものであり、自然選択経て現れるものでは無かったのだ。ダーウィン信奉者であるフッカーハクスリーを「近視眼的執着」をしていると攻撃する同時に、彼はこの本を「隣国では70年ほど前から一時的な堕落元凶となっている科学誤用だ」とフランス革命かこつけて考えようになったダーウィンはこれを読んで執念深く恐ろしく悪意満ちており、狡賢く有害だと言い、しばらく眠れぬ夜過ごした。そして後にこう述べている。「ロンドンっ子が言うには、私の本があまりにも話題になっていたために、彼は嫉妬狂っていたのだ。オーウェンの私への憎悪ほどの強烈さ憎まれるのは辛いことだった」 ダーウィンの理論反響呼んでいる間も、ハクスリーオーウェンとの論争続いたオーウェンは「脳によって試されるヒト類人猿起源」と題される学術振興会への寄稿と、「ヒト先祖変形した類人猿だと主張する者」とハクスリー表現することで、ハクスリー貶めようと画策した。ハクスリーは既にダーウィン喜んだ「ピテコイド・マン」(サルのようなヒトの意)についての考察行いヒト同類であるという事表明何の抵抗抱いていなかったので、これは侮辱にもならず空回り終わったハクスリーはこの機をとらえて脳の構造解剖学公にヒト先祖問題帰しオーウェン偽証の廉で告発する事を固く決心した。この作戦には2年以上かかったが、最終的に成功収め戦線前進する毎にダーウィン主義の下へ新たな賛同者集っていた。遺恨その後残った1861年ハクスリー動物学協会委員会参加したとき、オーウェン委員会去りその後年月ハクスリーオーウェンが「わがままで意図的に嘘をつく人物だと訴えて彼が王立協会委員会選ばれることを阻止し続けることに費やした1863年1月オーウェン始祖鳥化石大英博物館のために購入した。それは長い尾椎融合していない翼の指をもち、原・鳥類というダーウィン予言満たすのだったが、オーウェン進化論反対する立場からこれ疑いのない鳥類として記載した。この記載ハクスリーは猛反論している。 オーウェンダーウィン支持者との間の反目続いた1871年に、恐らくは大英博物館自分管理下におく意図をもってキュー・ガーデンズにあるジョセフ・ダルトン・フッカー植物学コレクションへの資金援助停止するよう政府脅迫していた件にオーウェン関与していたことが明らかになった。ダーウィンはこう語った。「私は彼を憎んでしまうことを常々恥ずかしいことだと思っていた。しかし今は我が生涯最後の日々憎しみ軽蔑入念に心に留めようと思う」

※この「オーウェンとダーウィン進化論」の解説は、「リチャード・オーウェン」の解説の一部です。
「オーウェンとダーウィン進化論」を含む「リチャード・オーウェン」の記事については、「リチャード・オーウェン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「オーウェンとダーウィン進化論」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「オーウェンとダーウィン進化論」の関連用語

オーウェンとダーウィン進化論のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



オーウェンとダーウィン進化論のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのリチャード・オーウェン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS