王立研究所とは? わかりやすく解説

王立研究所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/22 02:59 UTC 版)

1838年頃の王立研究所
ジェイムズ・デュワーの化学実験講義の様子
(画)Henry Jamyn Brooks
ハンフリー・デービーを描いた戯画
(画)James Gillray

王立研究所(おうりつけんきゅうしょ、Royal Institution of Great Britain 短縮されて、Royal Institution)(王認研究所(おうにんけんきゅうじょ)とも訳される)[注釈 1]は、イギリス1799年に設立された、科学教育、科学研究の機関である。設立者には、ヘンリー・キャヴェンディッシュや、第9代ウィンチルシー伯ジョージ・フィンチがいる。

歴史

研究所のはじめの資金と設立の提案は、社会改革家のトーマス・バーナード卿と科学者のラムフォード伯ベンジャミン・トンプソンが率いる救貧団体、"Society for Bettering the Conditions and Improving the Comforts of the Poor"によってなされ、1799年にロンドンの王立協会の会長、ジョゼフ・バンクスのSoho Square Houseに設立された。ヘンリー・キャヴェンディッシュや、第9代ウィンチルシー伯ジョージ・フィンチらが設立者となり、第一に、有益な発明や改良の効果的な普及、次に技術的な知識の交換のための教育的広報活動、講演会、出版物、見学会、継続的な展示を通じて、農業や工業のための新技術、装置、機械の応用などを目的に設立された。1800年に勅許を受けた。

研究所の経済基盤

研究所は50ギニー以上を出資する経営会員(プロプライター)と維持者、寄付者を募集して開かれた。はじめは90人が集まりその中から10人の理事が決められた[1]。1803年に経営会員が350人を超えその数で一定した[1]。研究所の運営は、これらの出資、寄付の他、講義の参加料に頼った[1]。そのため講義の参加者数が研究所の運営を左右した[1]

研究所の公開講義

研究所で最初に公開講義をしたのは科学の巡回講師をしていたトマス・ガーネット (1766–1802) である[2]。ガーネットは1799年に研究所に招かれて着任し、1800年3月から講義を始めた。聴衆は女性も含めて500人を超えたという[3]。ガーネットは「科学に関わって生活する人のための教育」と「科学を楽しむこと」を同時に求め、初期の研究所の活動の規範とした[4]。しかし、ガーネットは研究所の経営のまずさで約束した報酬を払ってもらえず、1年半で研究所をやめてしまった[5]が、公開講義の伝統は引き継がれた[4]。講演会のチケットは庶民には高価であった[6]が多くの聴衆が集まった。講演会で特に人気を博し、多くの聴衆を集めたのはハンフリー・デービーとその後を継いだマイケル・ファラデーが知られている[1]。デービーは1801年に研究所の化学補助講師、化学実験室管理者に着任した[7]。デービーは1800年に発明されたばかりのボルタ電池を使って、食塩水の電気分解や、1808年に発明されたばかりのアーク灯の輝きを聴衆に見せて驚かせた[2]。後任のファラデーも自身の最新研究である電磁気学の発見を講義した[2]

研究所はこうした講演活動を通じて、教育や科学の発展に貢献し、1827年から始められた[8]年少者向けの、クリスマス・レクチャーマイケル・ファラデーらが講義を行った。ファラデー以後も多くの科学者が王立研究所で活動し、ハンフリー・デービーマイケル・ファラデー以外に、ローレンス・ブラッグチャールズ・ハチェットジョージ・ポーターらがいた。10数人の研究者がノーベル賞を受賞し、10の元素が発見された。1973年に、マイケル・ファラデー博物館が所内に開館され、2007年までに実際の研究活動には使われなくなった。

歴代総裁 (President)

実験室長 (Director)

Director

Davy-Faraday研究室長

Director

脚注

注釈

  1. ^ 日本の科学史家板倉聖宣は「英国のロイヤルというのは必ずしも「国王が設立した=王立」ではなく、「国王が認可した」ということに過ぎない。「王立研究所」と書くと、日本の「国立研究所」のように誤解される恐れがある(板倉聖宣 2003)」として「王認研究所」の訳語を提案した。日本の科学教育研究者の永田英治も同様の趣旨で「王認研究所」の語を用いている(永田英治 2004)。

出典

  1. ^ a b c d e 永田英治 2004, p. 217.
  2. ^ a b c 永田英治 2004, p. 221.
  3. ^ 永田英治 2004, p. 222.
  4. ^ a b 永田英治 2004, p. 223.
  5. ^ 永田英治 2004, p. 224.
  6. ^ 板倉聖宣 2003, p. 20.
  7. ^ 永田英治 2004, p. 220.
  8. ^ 永田英治 2004, p. 230.

参考文献

  • The prospectus, charter, ordinances and bye-laws of the Royal Institution of Great Britain: Together with lists of proprietors and subscribers, and an appendix. London 1800 (online).
  • Frank Greenaway, Morris Berman, Sophie Forgan, Donovan Chilton (Hrsg.): Archives of the Royal Institution, Minutes of the Managers’ Meetings, 1799–1903. 7 Bände, Scolar, London 1971–1976.
  • Frank A. J. L. James: The common purposes of life: Science and society at the Royal Institution of Great Britain. Ashgate, 2002, ISBN 978-0-7546-0960-5.
  • Frank A. J. L. James, Anthony Peers: Constructing Space for Science at the Royal Institution of Great Britain. In: Physics in Perspective. Band 9, 2007, S. 130–185, doi:10.1007/s00016-006-0303-5.
  • Bence Jones: The Royal institution: its founder and its first professors. Longmans, Green, & Co., London 1871 (online).
  • 板倉聖宣『わたしもファラデー たのしい科学の発見物語』、仮説社、2003年、54頁、ISBN 978-4-7735-0175-9
  • 永田英治「第11章 王認研究所の科学の講座」『たのしい講座を開いた科学者たち』、星の環会、2004年、216-242頁、ISBN 978-4-89294-406-2

外部リンク


王立研究所

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ヘンリー・ブラッグ」の記事における「王立研究所」の解説

1923年英国王科学研究所化学教授となり、同研究所の Davy-Faraday Research Laboratory所長となった1929年から30年にかけて同研究所改革乗り出し研究所から価値ある論文多数生み出すことに貢献した1929年にはブラッグの妻が亡くなり本人1942年ロンドン亡くなった

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