研究所の公開講義
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研究所で最初に公開講義をしたのは科学の巡回講師をしていたトマス・ガーネット (1766–1802) である。ガーネットは1799年に研究所に招かれて着任し、1800年3月から講義を始めた。聴衆は女性も含めて500人を超えたという。ガーネットは「科学に関わって生活する人のための教育」と「科学を楽しむこと」を同時に求め、初期の研究所の活動の規範とした。しかし、ガーネットは研究所の経営のまずさで約束した報酬を払ってもらえず、1年半で研究所をやめてしまったが、公開講義の伝統は引き継がれた。講演会のチケットは庶民には高価であったが多くの聴衆が集まった。講演会で特に人気を博し、多くの聴衆を集めたのはハンフリー・デービーとその後を継いだマイケル・ファラデーが知られている。デービーは1801年に研究所の化学補助講師、化学実験室管理者に着任した。デービーは1800年に発明されたばかりのボルタ電池を使って、食塩水の電気分解や、1808年に発明されたばかりのアーク灯の輝きを聴衆に見せて驚かせた。後任のファラデーも自身の最新研究である電磁気学の発見を講義した。 研究所はこうした講演活動を通じて、教育や科学の発展に貢献し、1827年から始められた年少者向けの、クリスマス・レクチャーはマイケル・ファラデーらが講義を行った。ファラデー以後も多くの科学者が王立研究所で活動し、ハンフリー・デービー、マイケル・ファラデー以外に、ローレンス・ブラッグ、チャールズ・ハチェット、ジョージ・ポーターらがいた。10数人の研究者がノーベル賞を受賞し、10の元素が発見された。1973年に、マイケル・ファラデー博物館が所内に開館され、2007年までに実際の研究活動には使われなくなった。
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