王立研究協会研究教授
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「G・I・テイラー」の記事における「王立研究協会研究教授」の解説
1919年10月にテイラーはトリニティ・カレッジに戻り、講師 (lectureship) 職に就いた。このときにテイラーはキャヴェンディッシュ研究所所長だったアーネスト・ラザフォードに出会い、友人となった。テイラーの居室はラザフォードの部屋の隣りに定められた。 ケンブリッジに戻ってからは主として海洋学(特に潮汐現象への乱流の影響)や、回転流体中の物体の移動の問題について研究した。また乱流中の拡散現象を時間についてのランダムな関数を使って記述する先駆的な論文を著している。 1923年には王立協会の研究教授職であるヤーロー研究教授 (Yarrow Research Professor) に任命された。ヤーロー研究所職には教育義務や管理業務に携わる義務はなく、むしろ年間所定時間以上講義をしてはならないとされていた。テイラーは講義をするのに特に向いているわけでも、好んでいたわけでもなかったという。 研究教授職には研究への補助が付帯しており、それによりテイラーは技術助手 (technician) ワルター・トンプソン (Walter Thompson) を雇うことができた。トンプソンはその後40年ほどの長きにわたりテイラーに仕えた。トンプソンはテイラーの簡単なスケッチのみから適切な実験装置を組み上げることができたという。 私生活の面では、テイラーは1925年にバーミンガムの学校教師であったステファニー・レイヴンヒル (Stephanie Ravenhill) と結婚した。2人の間に子供は生まれなかったものの共通の趣味であるセーリングを共に楽しみ、結婚生活はステファニーが1967年に死去するまで続いた。 研究教授となってから、第二次世界大戦関連の軍用研究に携わるようになった1939年頃までの時期は、テイラーの生涯を通じても最も充実した時期の一つであったと言える。この時期の初め頃に書かれたはテイラーの論文のなかでも最も著名なものの一つであり、回転する(中心軸を共有する)筒状の壁二つの間の定常的な流れ(テイラー・クエット流)の安定性を解析したものである。 またテイラーの代表的な業績である流体力学での等方乱流の統計的理論および固体力学(英語版)での塑性に関する一連の研究が行なわれたのもこの時期である。 塑性の転位理論は1934年、マイケル・ポランニー、エゴン・オロワン(英語版)とほぼ同時期に金属、岩塩などの塑性変形(plastic deformation)のメカニズムが転位(dislocation)によって理解できることを明らかにしたものである。テイラーの研究のポランニー、オロワンのそれと異なる点としては加工硬化の定量的な理解が含まれていたことが挙げられる。ここでテイラーは1905年頃のアントン・ティンペ(ドイツ語版)とヴィト・ヴォルテラによる、連続的な弾性体を記述する方程式の多価性を持つ解に関する研究を応用している。テイラーのこの研究はその後の分野の発展に大きな影響力があったとされる。
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