探検後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 15:16 UTC 版)
「ノイシュヴァーベンラント」の記事における「探検後」の解説
ノイシュヴァーベンラントに対するさらなる探検は、第二次世界大戦のために結局中止となった。1942年までにノイシュヴァーベンラント東部の5万分の1地形図が作成されたが、ノイシュヴァーベンラント西部の地図製作は戦争で中断し空中写真の多くも失われた。生物学・地質学・天文学の調査結果は1954年から1958年にかけてようやく発行されている。 現在、南極のこの地域はドロンニング・モード・ランドと呼ばれるが、ノイシュヴァーベンラント(ニュー・スウェイビア)という呼称もいくつかの地図では今もなお使用されている。また、この探検の際に名付けられたドイツ人の人名に基づく地名は現在も用いられている。ドイツが地図を書きながら名付けなかった地形は、戦後のイギリス・ノルウェー・スウェーデン合同探検(1949年 - 1952年)やノルウェー南極探検(1958年 - 1959年)で名付けられたが、それ以外の主だった山地、山頂、氷河、渓谷、丘、「オアシス」(露岩地)などはほとんどドイツ人が名付けたものである。 この探検によって南極大陸内陸部の様々な姿が明らかになった。ノイシュヴァーベンラントは、プリンセス・マーサ・コーストからプリンセス・アストリッド・コースト(en:Princess Astrid Coast)にかけての範囲に広がっている。北部の南極海沿いは氷河の先に作られた丘状の地形で、海岸部の棚氷から始まり、徐々に標高1,000メートルまで高くなっていく。その南の内陸には、ヌナタクと呼ばれる岩石の峰が氷床の上に突き出す地形が続いており、その標高は高いもので3,000メートルに達する。その先は、標高2,000メートルほどの南極高原へとつながっている。山脈内には夏でも氷に覆われた湖や逆に氷の張らない湖が見つかったほか、雪や氷のない「オアシス」と呼ばれる地域も発見された。シルマッヒャー・オアシスには淡水湖もあり、ペンギンなどが住む。植物相では、12月から2月にかけての短い夏の間に、氷が解けた露岩部に藍藻や地衣類など単純な植物が広がる。動物相では、鳥類の大規模な群落が発見されている。気候は寒帯で1年を通して氷点下を超えることがなく、きわめて乾燥している。
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