発見・命名
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AT2018cowは、ATLAS計画でハワイに設置された、口径50cmの特注ライトシュミット式望遠鏡を用いて、2018年6月16日の10時35分38秒(UT)から撮影した画像で、初めて検出された。発見時の明るさは、ATLAS望遠鏡のo(オレンジ)バンドで14.7等であった。位置は、ヘルクレス座の系外銀河CGCG 137-068に含まれるとみられる方向で、これを母銀河とすれば赤方偏移は0.014、標準的な宇宙論パラメータを採用すると、距離はおよそ2億光年と推定される。AT2018cowの出現位置は、CGCG 137-068の銀河核から約5.9秒離れた所で、この距離が正しいとすれば母銀河の中心からおよそ5,500光年離れた位置となる。 発見の報告からすぐ、この突発天体にはAT2018cowの名称が付与された。この命名規則は、国際天文学連合が2016年から、突発天体発見を報告する仕組みとしてTNS(Transient Name Server)を正式に組み込んだことで用いられているもので、超新星の命名と同様にしてAT(突発天体Astronomical Transientの略)で始まる名称が自動的に決まる。追観測によって超新星であることが判明すれば、SN名も付与される。発見者であるATLASグループ内での識別符号では、ATLAS18qqnとなっていた。 ATLASによる観測では、発見の3.95日前に同じ天域を撮影した、oバンドで限界等級20.2等の画像にAT2018cowは写っておらず、この4日間の内に急増光したとされた。また、ASAS-SN(英語版)による観測では、ATLASによる発見の1.3日前に、g(緑)バンドで限界等級18.9等でやはり検出されておらず、一方発見3日後には検出されており、この1.3日の間に4.2等級以上明るくなったことは間違いないとされる。
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発見・命名
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白瀬は1912年1月、開南丸にてロス棚氷に接近、クジラ湾近くの小さな湾(白瀬はこの湾を開南湾と命名)に停泊しそこから氷崖に上って本拠地を建設した。1月20日、突進隊員4名(武田輝太郎学術部長、三井所清造衛生部長、山辺安之助、花守信吉)とともに南極点を目指し出発したが、それは果たせず1月28日に到達した南緯80度05分00秒 西経156度37分00秒 / 南緯80.08333度 西経156.61667度 / -80.08333; -156.61667が最も南の地点であった。白瀬はその地点に日章旗を掲揚した。そこから見渡す限りの一帯を「大和雪原」(ヤマトユキハラ)と命名し、日本領とすることを宣言した。 先づ天幕の傍に穴を掘り、携へ来れる芳名簿を入れし銅製の箱を埋め。其傍に一間許りの竹竿を樹て、其上に予て用意の大国旗を翻へし、更らに之に隣つて赤ペンキを塗つたる三角形ブリキ製の回転旗を樹て、其等の旗の舌に突進隊員全部整列した。此時、白瀬隊長は国旗の下に厳かに一般同情者諸士に感謝する旨の式辞を述べ、謹んで陛下の万歳を三唱し奉つた。一行は之に和して続いて万歳を三唱したが、それが終ると、隊長は此露営地を中心として、目の届く限り、渺茫際なき大雪原に『大和雪原(やまとゆきはら)』と命名した。時正に午後零時二十分であつた。 — 南極探検後援会編、『南極記』 なお、白瀬南極遠征隊による探検後、直ちに日本の後続の探検隊が送られることもなかったために、大和雪原の範囲は明確化されていない。また、現在では大和雪原は、陸上ではなく、ルーズベルト島南方のロス棚氷上にあることが判明している。白瀬は南極大陸に上陸したのにもかかわらず、一片の岩石も持ち帰ることができなかったことを悔やんだという。 白瀬は第二次世界大戦後、1946年(昭和21年)にも南極における日本の領有権確認の書簡を出したりしているが、結局のところ、1951年署名のサンフランシスコ平和条約第2条において、日本国政府は南極地域の領有権を放棄しており、日本領の宣言は無効となっている。 日本国内において使われていた地名であったが、2012年6月、改めて日本の国立極地研究所南極地名委員会は、白瀬矗の南極探検100周年を記念して、「大和雪原」(やまとゆきはら Yamato Yukihara)の地名を正式に付与することとした。この決定は南極地域観測統合推進本部(南極本部)によって承認され、南極本部から国内関係機関へ、国立極地研究所から南極研究科学委員会(英語版)(SCAR)を通じて各国の南極関係機関へ、それぞれ通知された。区分としてはキャンプ地の呼称とされ、位置は南緯80度05分00秒 西経156度37分00秒 / 南緯80.08333度 西経156.61667度 / -80.08333; -156.61667座標: 南緯80度05分00秒 西経156度37分00秒 / 南緯80.08333度 西経156.61667度 / -80.08333; -156.61667とされている。アメリカ地質調査所の地名情報システム(GNIS)には Yamato Yukihara Camp Site (historical) として登録されている。
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発見・命名
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「スティーブ (大気現象)」の記事における「発見・命名」の解説
この発光現象を発見したのは、アルバータ・オーロラ・チェイサーズ(Alberta Aurora Chasers)という、Facebook上のオーロラ撮影者グループに参加するオーロラ撮影者達で、彼らは発見から暫くは、この現象を「プロトンアーク」と呼ばれる陽子のオーロラ現象であると思っていた。 しかし、撮影された画像をみたカルガリー大学の地球物理学者ドノヴァンは、この発光現象がプロトンアークではないと指摘した。なぜならば、陽子オーロラは肉眼でみえる現象ではなく、構造上の特徴も撮影された光の帯とは異なるからである。 オーロラ撮影者の一人で、アルバータ・オーロラ・チェイサーズの管理者を務めるラツラフは、この現象がプロトンアークではないと知ると、映画"Over the Hedge"(邦題『森のリトル・ギャング』)中で、突如現れた生垣の正体に悩む動物達が、生垣を"Steve"と呼ぶことにした場面に着想を得て、この発光現象を"Steve"と呼ぶことを提案した。 その後、正体のよくわかっていないこの異常な「オーロラ」は、オーロラ追跡の市民科学事業「オーロラサウルス(Aurorasaurus)」上で、2年間に30件以上の発生が報告された。 考案者のラツラフは、Steveは科学的名称が決まるまでの仮名と考えていたが、オーロラサウルスを主催するNASAゴダード宇宙飛行センターの地球物理学者マクドナルドが、"Sudden Thermal Emission from Velocity Enhancement"をSTEVEとするバクロニムを考えると、NASAも"Strong Thermal Emission Velocity Enhancement"として採用し、STEVEがこの現象の公的な名称に決まった。
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発見・命名
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「相森中学校 (小惑星)」の記事における「発見・命名」の解説
2006年10月、相森中学校OBで、宇宙航空研究開発機構 (JAXA) 主幹研究員であった中島厚が、JAXAの入笠山光学観測所で行っていた小惑星探査に相森中学校生徒を招いた(相森中学校の創立60周年記念事業の一環でもあった)。生徒たちが撮影した画像を、中島の研究室で開発したソフトウェアで解析したところ、新天体と思われる15個の天体を検出した。2014年までに、そのうち5つの軌道が確定して小惑星番号が付され、これに伴い命名権を得ることとなった。小惑星番号187531を付されたこの天体は、5つのうちもっとも早く小惑星番号付与に至ったものである。 2015年、中島は5つの小惑星の命名を相森中学校に依頼。2016年、相森中学校では小惑星の命名を創立70周年記念事業の一環とし、生徒会が生徒から名前を募集した。5つの小惑星への命名は2016年6月より順次国際天文学連合 (IAU) に申請されたが、最初に申請されたのがこの天体への「相森中学校」命名であった。2017年1月17日付の小惑星回報(MPC 103027)で命名が公表され、正式名称となった。
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