アメリカの現代詩
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「アメリカ合衆国の詩」の記事における「アメリカの現代詩」の解説
アメリカ合衆国の詩の最近30年間は多くの集団、学派およびトレンドが出現しており、それらの重要性は今でも続いている。 1970年代にはシュルレアリスムに対する関心の復活があり、この分野で活動した著名な詩人としては、アンドレイ・コドレスク(1946年 - )、ラッセル・エドソン(1935年 - )およびマクシン・チェルノフ(1952年 - )がいる。ビートやヒッピーが出てきたことから演じる詩が現れ、デイビッド・アンティン(1932年 - )の話す詩やローゼンバーグによって演じられた儀式的な出来事は多文化主義と、多様な文化から幅のある詩を受け入れる重大な詩の立場となった。これがアフリカ系アメリカ人による詩に対する興味の一般的成長を映し出した。その詩人としてはグウェンドリン・ブルックス(1917年 - )、マヤ・アンジェルー(1928年 - )、イシュマエル・リード(1938年 - )、ニッキ・ジョバンニ(1943年 - )およびデトリック・ヒューズ(1966年 - )がいる。 また別の詩人集団として言語学派(その名前を冠する雑誌に因んでL=A=N=G=U=A=G=E学派ともいう)が1930年代のモダニズムと客観主義の伝統を引き継ぎ拡張してきた。この集団に関わった詩人としては、リン・ヘジニアン(1941年 - )、ロン・シリマン(1946年 - )、ボブ・ペレルマン(1947年 - )およびレスリー・スカルピーノ(1947年 - )がいる。彼らの詩は断片的で意味深長であり、文法を無視したところもあり、時には異なる文献や慣用句から文を混ぜたりして、ある意味で抽象的、叙情的また高度に滑稽にもなる。「言語」学派の批評家は、意味や文脈を捨てることでその詩はことわざにあるタイプライターを持った無限に部屋一杯の猿によって書かれたもののようにもなると指摘した。 「言語」学派は女性の比率が高く、初期と当代の女性詩人によって書かれた詩の再発見と振興というもう一つの一般的トレンドを映し出している。最も著名になったアフリカ系アメリカ人詩人の多くは女性であり、その他の著名女性詩人にはアドリエンヌ・リッチ(1929年 - )、ジーン・バレンタイン(1934年 - )およびエイミー・ガースラー(1956年 - )がいる。ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ(William Carlos Williams、1883年9月17日 - 1963年3月4日)はアメリカ合衆国の詩人。エズラ・パウンド、T.S.エリオットに比肩する、20世紀アメリカを代表する詩人とされ、その創作はモダニズム、イマジズム(写象主義)と関連付けられて紹介されている。 ブラスキ(Giannina Braschi)は、ガルシラソ・デ・ラ・ベガのエクローグについての詩論を書き、また『Empire of Dreams』というオマージュの詩集も出した。 1960年代には伝統ある古典的形態の詩が流行から取り残されていったが、叙事詩『サンドーバーでの変化する光』(The Changing Light at Sandover、1982年)の著者であるジェイムズ・メリル(1926年 - 1995年)やイギリス生まれでサンフランシスコ在住の詩人トム・ガン(1929年 - 2004)のような偉大な形式技術のある詩人によって生命が保たれている。1980年代と1990年代には、伝統的形態に対する興味が再登場し、ニューフォーマリズムあるいはネオフォーマリズムと呼ばれることがある。これにはモリー・ピーコック(1947年 - )、ブラッド・リーソーサー(1953年 - )、ダナ・ジオイア(1950年 - )およびマリリン・ハッカー(1942年 - )といった詩人がいる。積極的に発言するニューフォーマリズムの詩人の中には、韻律詩への復帰と、より固定された脚韻が新しい「アヴァンギャルド」になると宣言している者もいる。その批評家は時としてこの伝統主義はロナルド・レーガン時代の保守政治と関連付け、ジオイアを全米芸術のための基金会長に指名したことを挙げている。しかし、ニューフォーマリズムのより最近の例は言語詩のより実験的な領域と重なっていることもあり、どちらの学派も次第に詩の主流に吸収されていくと示唆している。 この期間に、良く知られたアメリカ詩運動と形態との結び付きを拒否し、詩人で文学批評家のロバート・ピーターズのように、大きな独立した声もあった。ビクトリア朝時代のイギリス詩人ロバート・ブラウニングの詩的独白に大きく影響されて、その狂人王バイエルンのルートヴィヒ2世のように独白的人物を人気のある一人芝居に仕立てることで評判になった。 最近20年間では詩のスラム(詩の朗読競技)という形態でビート詩の口語様式が復活した。シカゴの建設労働者マーク・スミスによって1984年に考案され、題目や刺激性、分かりやすさのある書き方を強調する詩の朗読を聴衆が判定する会だった。詩のスラムはアリックス・オルソン(1975年 - )、テイラー・マリ(1965年 - )およびソウル・ウィリアムズ(1972年 - )など新しい世代の詩人と口語の朗読者に門戸を開いた。多くのオンラインのジャーナル、ミニコミ、ブログなどのサイトが出来るとともに、詩はウェブ上でも重要な存在となった。 しかし、概して詩は主流からは外れて、カレッジや大学のキャンパスに入っていった。大学院生の創造的書き方プログラムの人気が高まり、詩人には教師として生きる機会を与えた。このことは専門化を助長し、主要な出版者や雑誌が詩を出版することに躊躇するのと組み合わされて、少なくとも近い将来には詩が学問の世界で新しい拠り所を見出す可能性を意味してきた。
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